至道無難
2018年    3月   
1 (木)
2 (金)
3月の満月

3月1日の木曜稽古会。真ん丸いお月様が天空にあった。道場の天窓からも見える。道場はまわりから少し高いところにある。暦でゆうと満月は3月2日なんだが14夜も壮絶に丸い。その満月が見守る中、稽古は淡々と進んでいく。

暗闇に 満月冴ゆるや 春惜しむ         無得庵是空
3 (土)
4 (日)
いましめよ慢心

3月に入ると少しは暖かくなったようだ。1,2月の稽古は全て寒稽古としてそれぞれどれだけ参加出来るか、己との戦いを出欠表提出の形にした。武術の稽古は挑戦だ。行くか行かないか、己の意志だ。稽古にこれまでという自己限定はない。ひと足ずつひと足づつの積み重ね。理屈はいらない。

いましめよ 修行の慢心 春の月          無得庵是空
5 (月)
6 (火)
7 (水)
8 (木)
近道はない

「機心は創造心を失う」というのがある。機械に頼ると楽だ。井戸水を汲むのは手作業だった。それを機械化しようとしたときの言葉だという。身体は動かせという戒め。近道はない。身体を使って動いてるのがいい。止まったらどこかおかしくなる。

人生に 近道はなし 春の山           無得庵是空
9 (金)
10 (土)
11 (日)
12 (月)
浅く見るな

道場はただ合気道の型を稽古に行くだけではない。学ぶのは型以外のものだ。吸収するのは身体である。知らないうちに身体の中に稽古による大きな財産が蓄積していく。頭で解決してはならない。道場は道の場。そこで感じ取れ。


深いものを 浅く見るなよ 春出水       無得庵是空
13 (火)
放下着

昨晩、久しぶり真剣を振った。中山一貫斎。いつも振ってる模造刀とずしりと違う。身体にグッと来る。無心。立ち技、座り技、ゆっくりと振る。禅語で放下着という。何もかも捨ててしまいなさい。中から余分なもの出て行った。

今日の稽古 忘れてもよし 彼岸前        無得庵是空
14 (水)
15 (木)
16 (金)
古を稽える

武術の修行している間、これは充実の時、なのだ。ただ無為に時間を過ごしているのではない。その修行の成果というものは見えない。すぐにどうだとはいえないのだ。稽古人どうしがその時間おおいに影響しあっている。何かが身体に浸み込み込んで行く。結果をあせらない。まず、3年。死に物狂いで、やるべし、だ。

いま古(いにしえ) 稽(かんがえ)る時  春の泥     無得庵是空
17 (土)
18 (日)
19 (月)
20 (火)
21 (水)
春分の日
22 (木)
23 (金)
道場

柔道や合気道は畳の上でやるもの。マットでもいいんだがキチッと組み込まれていなければならない。ところがそういう場がなくなった。道場という雰囲気の施設が少なくなった。床の上にマットを並べて受身の稽古。これでは…?

雨あられ とくれば同じ 春の水        無得庵是空
24 (土)
25 (日)
26 (月)
27 (火)
28 (水)
29 (木)
30 (金)
31 (土)
少しずつ 少しずつ

春になると、道場も凌ぎ易くなる。これは冬場の稽古を乗り切った成果でもある。冬場は空気が違う。その寒さの中で繰り返す武術の稽古という意義だ。すぐに結果は出ない。身心に何かが蓄積されて行く。少しずつ、少しずつ、である。

繰り返す 技の練磨や 鳥帰る          無得庵是空