社論・乾坤一擲管理
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1月12日(金)乾坤一擲    青葉区版417号

有馬記念、キタサンブラックの快走、暮の12月24日は、「まつり」の歌で、中山競馬場は盛り上がった。そう、この馬、演歌歌手北島三郎の愛馬である。有馬記念は、競馬の「オールスター戦」として昭和31年に「中山グランプリ」の名称でスタートした。最初、プロ野球のように、ファン投票で出走馬を選出する方式を採っている。当時、有馬頼寧中央競馬会理事長の発案だった。この方、久留米藩15代当主、戦前はプロ野球、東京セネターズのオーナーでもあった。府中の東京競馬場ではダービーが行われる。それに対抗して、中山でも何か大きな大会を、として作られたのだ。第1回は大盛況だった。ところが創設者は急逝する。その功績を称えて、第2回目から有馬記念と改称するのに誰も反対はなかった。今年で62回である。これに勝った馬が、キタサンブラックである。売れ残った数百万の子馬だった。それが18億8千万円、歴代1位の賞金を獲得し、引退したのである ◆正月明けると、プロ野球の、「燃える男」「闘将」、星野仙一死去のニュースが飛び込んだ。あれっと思った。闘病の噂もなく、野球殿堂入りのニュースで、元気なスピーチで話題を残していた。選手の時も監督時代も、とにかく話題の多い人だった。大学は明治、当時東京六大学は華やかだった。ところが星野仙一、一度も優勝はなかった。中日に入団すると巨人戦には闘志をむき出しにした。特に、長嶋茂雄、王貞治の二人の大打者への投球はテレビ時代に突入した野球中継の華だった。監督は古巣の中日から。巨人の王監督への拳を突き出すジェスチャーでの抗議は話題になった。あと阪神、楽天へ。東日本大震災の宮城を勇気付ける日本シリーズ制覇。監督として有終の美を飾っている ◆北島三郎、流しのサブちゃん、本格的な歌手になる前、新宿を流していた。それが歌のヒット、馬主になってキタサンブラックと出会うのである。星野仙一、ドラフトでは巨人との約束があったのに、巨人は田淵幸一を外すと、島野修を指名。直後、星野は「島と星を書き間違えたんではないか」と憮然。これがプロ野球界へのスタートだった。年末年始、競走馬界とプロ野球界の大きな話題で、戊戌、新しい年へ突入したようである。

あおばタイムズ
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