社論・乾坤一擲管理
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1月 8日(金)乾坤一擲

今年の干支は寅。トラには「寅」と「虎」の二文字ある。「虎」というと動物園の檻のなかでゴロリとしている、のんびりした猛獣を想像する。トラ年のトラはやっぱり「寅」がふさわしい。この干支は十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)とを組み合わせたもので、中国の商(殷)の時代、紀元前17世紀頃、に出来た。今年の寅年は、正式には庚寅(かのえとら)である。今年生まれた人は、庚寅年生まれで、数学的には、10と12の最小公倍数の60で一回りする。その起算点となった年の干支に再び戻ることが「還暦」である。数え年、61歳の人が今年の「還暦」のお祝いの対象となる。今はこの数え年は使わない。昭和30年から誕生日がきて加算されるという満年齢となった。「還暦」と「満60歳の誕生日」とは無関係なのだが、今では還暦祝いは60歳の誕生日の周辺で行われている。この十二支の中で、寅は日本に生息していない。16世紀後半の秀吉の朝鮮出兵で、加藤清正が虎退治をしたという伝説があり、そのことで虎という動物の存在が日本人に知られる。日本にいないというと、もうひとつ竜である。これは中国の伝説上の動物で地球上には実在しない。干支の中で唯一奇妙な動物である。普段は水中に潜み、奇矯な鳴き声で雷雲や嵐を呼び、昇天する。力が伯仲した二人の強豪が相対する「見応えのある試合」のことを、「竜虎相摶つ」という。庚寅の年に、その虎のライバルである「竜」が登場する。NHK大河ドラマ、坂本竜馬物語、「竜馬伝」である。幕末に出現し、あっというまにこの世を去った土佐のこの脱藩藩士を、いきなりこの世に引き戻したのは、司馬遼太郎である。「竜馬がゆく」、1962年(昭和37年)6月、産経新聞の夕刊に連載が開始された。坂本竜馬という人物は一部では知られていたが、全国区ではない。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、話の進め方は独特だった。だれもがぐいぐい引き込まれていった。空間や時間が突然あっちいったりこっちいったりする。そういう筆法だと、不思議と歴史と人物のかかわりがわかり易いのだ。「竜馬」、大ブレークである。「竜馬」の名前の由来は、生まれたとき背中に黒毛が生えていたからとされている。身長180cmの大男。近眼で北辰一刀流の免許皆伝。刀より戦いやすい小刀がいいと、小太刀を差していたが、あるとき、これからは拳銃だといって西洋式の「ピストル」をみせびらかす。これに感心していた友人に、次に会ったときは、「万国法」を見せ、揉め事は「力」でなく法律じゃ、とうそぶいたという面白い逸話が残っている。仲がよくなかった薩摩と長州を結びつけて薩長連合を成立させ、大政奉還への道筋をつけた。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、「脱藩の田舎侍」が、のびのびと、江戸での青春を謳歌し、その志の半ば、31歳の誕生日に暗殺されて、終わる、青年・坂本竜馬の、短いが濃い、人間ドラマである。その「竜の申し子」・坂本竜馬が再び庚寅の今年クローズアップされる。時代は変わるが、同じように先は見えない。これからの日本の若者の突き進む道、この坂本竜馬の気概は大いに参考になるはずである。

2月12日(金)乾坤一擲

とうとう朝青龍は引退に追い込まれてしまった。自業自得なんだけれども本人はまったく自分がしでかしたことが分かってない。1月14日、初場所五日目、豪栄道に引き落としに破れた夜だった。付き人たちと六本木に繰り出した。負けた憂さ晴らしだったんだろう。本場所中なんだから天下の横綱、それこそ「品格」というものが何なのか、ご存じであれば、10時ごろには明日に備えて帰るだろう。ところがこの「日下開山」はそんなことはどうでもいい。翌朝4時まで飲みまくった。クラブから外に出ると、「あ、朝青龍だ!」と群衆に囲まれた。本場所中にこんなところに横綱が、とめずらしもの見たさに、「ワーっと」わき返った。あまり騒ぎになったらまずい、と知人男性が間に入って制した。車に乗せるとき、「横綱、がんばってください」と声をかけると、「俺に頑張れとは何だ」と怒りだした。車に引っ張り込んで殴った。その男性はスキををみて車から飛び出し、交通事故処理中の警官に訴えた。顔面を殴られているのだから、暴力事件である。朝青龍の付き人たちはあわてた。今日は、六日目の取り組みがある。「まずい」と、うまく取り繕って、その場を離れた。その日の夕方6時、そういう騒ぎがあったとは、両国国技館の観客、茶の間のテレビで観ている相撲ファン、ほとんどだれも気がつかない。相手は鶴竜、彼もモンゴル出身。あっさりと寄り切りで破ってしまう。朝方、六本木で泥酔し騒ぎを起こしても、平然と相撲に勝ってしまう。これが朝青龍を傲慢にしてしまったのだ。横綱の「品格」よりも土俵にあがったら「鬼」になる。それで勝てばよい。これはもう日本の相撲ではない。この事件で、今回の相撲協会理事会は朝青龍の処分に紛糾した。これは2月1日の理事選挙に、「改革」を旗印に、貴乃花親方が一門を離脱して立候補し、おおかたの予想を裏切って当選したことも大きかった。二人の外部からの理事の強硬な意見があったのも、閉鎖的で、仲間内の問題として処理されてきたこれまでの理事会が一変した。世論の空気が反映し透明性が高まった。高砂親方と朝青龍が理事会に呼ばれたが、時すでに遅しだった。示談書も出した、ま、何ヶ月か謹慎すれば、復帰出来るだろうという楽観的な読みは、見事に外れてしまったのだ。何人かの理事に説得されて、自ら「引退」を申し出た。これまでの数々の不祥事、横綱の品位、品格、品性、すべてゼロ、常識がまるでない。今度は一般市民に対する暴力沙汰で、刑事事件なのだから、相撲協会が「引退」という形にしたのは温情なのだ。あれは、六本木警察署の大失態で、即、逮捕拘留すれば、問題解決は早かった。六日目から休場。即、解雇。25回優勝という記録もなかった。当人は何を考えているのか、2月4日に引退させられると、翌々日にはハワイでゴルフに興じていた。皮肉にも、自分がいない2月7日、大相撲トーナメント戦の優勝は、初場所五日目に破れた日本人力士・大阪出身・24歳・豪栄道豪太郎だった。いいぞ!豪太郎。この朝青龍引退問題を機に、日本人力士に火がついたと見ていい。

3月12日(金)乾坤一擲

元横綱・朝青龍を慕っている若いスポーツ関係者が二人いる。ボクシングの亀田興毅、WBCのフライ級世界チャンピオン、と格闘家の石井慧、北京オリンピック男子柔道100キロ級金メダル獲得者 、である。かつてテレビで公開された亀田3兄弟のすざましいトレーニングには度肝を抜かされた。父親考案の世界チャンピオンへの猛特訓法である。これに3人は決して弱音を吐かない。今時父親にこんなに素直な子がいるのかと感心したものである。ところがテレビの前で演じたパフォーマンスには興ざめした。対戦相手が減量に苦しんでいることを知ると、骨付きチキンを食べ、清涼飲料水を一気飲みして見せる。それをマスコミが取り上げてはしゃぐ。日本のボクシングは、昭和27年、白井義男が初の世界フライ級戦、後楽園球場に4万の客を集めて行われたダド・マリノ戦で、チャンピオンになって、華々しく世界にデビューした。アメリカ人の生物学者カーン博士とのコンビで「科学的トレーニング」。無名の日本人ボクサーを世界一にして一躍有名になった。食料事情のよくない時代、肉を食べさせ、筋力トレーニングを行った。指導方法が当時としては知的だったのだ。白井もそれに応えて真摯にボクシングに取り組んだ。ついにフライ級の世界チャンピオンになった。それまでの「拳闘」から「スポーツ」へ変わった瞬間である。敗戦直後の暗い世相を吹っ飛ばす、日本中を興奮させた凄いニュースだった。亀田親子のボクシングスタイルは、まるで逆。言動にも若さがない。演出もあるのだろうが、品格よりも土俵で勝てばいいという「元横綱」にそっくりなのだ。一方の石井慧は北京で金メダル取ったら柔道をやめて総合格闘技に転向した。こんな早く引退するなどとは誰も信じなかった。何を考えているのかさっぱりわからない。その間、マスコミの取材への応対が問題になった。奔放なのだが、妙に仕草が朝青龍に似ているのだ。あれは尊敬する横綱の真似に間違いない。格闘技転向後のデビュー戦は柔道の先輩・吉田秀彦。「負けたら自殺する」と公言。判定で負けたら雲隠れ。顰蹙をかった。その後、暴力沙汰で横綱引退に追い込まれた朝青龍とハワイで会っている。柔道の創始者・嘉納治五郎は武術を通じて世界に通用する人づくりに尽力し、日本のオリンピック参加と招致に生涯を賭けた。このオリンピック柔道・金メダリストの生き方に嘉納治五郎が賛同する訳がない。朝青龍が横綱になったのは平成14年。貴乃花に破れて、花道を引き上げる時、「畜生!」と叫び、支度部屋では「けがをしている左足を狙えばよかった」などと発言。勝てばガッツポーズ。8年間は、暴言と品性を欠いた行動の歴史だった。これが、亀田や石井たちに、スポーツはただ勝てばいいんだ、強ければ何を言ってもいい、と影響を与えているのは間違いない。バンクーバーオリンピック・スノボー、国母和宏の腰パン・ネクタイゆるめ問題、「反省してまーす」、あれも朝青龍的行動と言っていい。相撲協会は興業面で朝青龍に頼りきり、指導の面で後手を取ってしまった。内舘牧子さんのいうように、日本の相撲に敬意を払わない、朝青龍はもっと早く日本の相撲界から追放すべきだったのだ。

4月 9日(金)乾坤一擲

4月に入って政局は動いた。自民党の執行部に批判的な人たちが飛び出したのだ。与謝野薫さんと園田博之さんが離党届けを出した。郵政選挙ですでに自民党を離れている平沼赳夫さんと合流する。つい最近党を離れて無所属になっている鳩山邦夫さんも新党作りに参加すると思っていたが、平沼さんは「邦夫氏は不参加」と発表した。この邦夫氏は兄の鳩山由起夫首相より政界入りは早い。田中派総帥・田中角栄の門を叩き、秘書として政治家修行をスタートさせる。先が見えすぎるのか、所属政党がくるくる変わる。発言も軽い。「私の友人の友人がアルカイダなんです」、地デジのイメージキャラクターだったSMAPの草薙剛が公然わいせつ容疑で逮捕されると「めちゃめちゃな怒りを感じている。なんでそんな者をイメージキャラクターに選んだのか。恥ずかしい。最低の人間だ。絶対許さない」などと発言。ものすごい抗議や批判が相次ぎ撤回した。そんなことには全く懲りない。お金持ちの坊ちゃんも、スケールは天文学的で、兄とともにその資産は計り知れない。政治家にしがみついていなくともよい。「こども手当」で毎月、兄弟に1500万円お小遣いを与えていた母は、ブリジストン創始者の石橋正二郎の孫である。その株を375万株持っている。世界同時株安によって40億円の損をしても、どうということはない。与謝野さんは、首相の兄・由紀夫氏を「昭和の脱税王」だ、と言い放った。「同じ穴の狢」、弟・邦夫氏を新党の仲間にするのは、どうみても具合悪いのだ。彼は多彩な趣味を持つ。料理はプロ級。野菜は家庭菜園で作った無農薬野菜を栽培し、知人に配りまくる。少年時代からの蝶研究は世界レベル。「蝶のコレクター」というのは変質者の代名詞のように使われる。政党を簡単に離れてしまう。それでも政治家として成り立つのだから不気味なひとではある。今回の離党会見では、「薩長同盟」を結ばせた坂本龍馬になぞらえて、人気政治家ナンバーワンの舛添さんと政治家で一番頭のいい与謝野さんを結びつける役をやる。坂本竜馬は親戚だと、これもまた軽い発言で波紋を呼んだ。どうも鳩山さんの神経はよくわからない。こういうところが平沼新党に嫌われたのだろう。変節は政治家としての資質を問われ、そう長く永田町に居られる訳がないのだが、これは「永田町七不思議」の一つといっていい。民主党の内閣支持率は急激に落ちて来ている。鳩山首相の発言のブレに批判が集まっている。ところが自民党の支持率も伸び悩み。党首討論での谷垣総裁に迫力が見られない。総裁就任直後、自民再生を旗印に趣味のサイクリング車で国会に向かったが、転倒して左目を負傷してしまった。ここという時にこれは不運だった。顔つきが変わった。より悲壮になり、隣に大島理森幹事長の仏頂面が並ぶと、暗い日本の将来を象徴するかのようで、身内での評判も悪い。与謝野さんと平沼さんは70歳。麻布の同級生だそうだ。これからの人生を「日本はどういう方向に行けばよいか」、その方向性を見極める役割を担うのだという。政治家は年齢ではない。問われるのは、国民のために生死をかける覚悟があるかどうかだ。毎日の行動は「地獄の釜の上に座っている」、このことを忘れてはいけない。

4月23日(金)乾坤一擲

福山雅治・「竜馬伝」はいよいよ竜馬が勝海舟と会うところまで来た。司馬遼太郎の「竜馬が行く」で、一番興味深かったところだ。千葉道場の息子・重太郎と場合によっては斬るという覚悟で、幕府の奸物・勝海舟に面会を求める。勝は平然と持論を展開する。地球儀を持ち出して、咸臨丸でアメリカに行った経験を披瀝する。世界の情勢を説く。それに即座に感銘し、竜馬は弟子入りをする。そういうストーリーだった。ところが4月18日のドラマの設定は意外だった。会うのは会うのだが、勝の態度はすげない。まるで相手にされない。竜馬も勝燐太郎という人はもっと大きい、包容力のある人だと思っていたと、失望する。ところが周辺の情報から、坂本竜馬は、勝の思っていたような人物とは違うと知る。再度会って、確かめる。土佐藩を脱藩した、捨て身の坂本竜馬のスケールの大きさに驚嘆し、自分が求めていた人材だと歓喜する。竜馬は、日本が列強に伍してやって行くには海軍を作って自国を守るという方法しかない、という。「それは自分が北辰一刀流の目録まで行ったという自信から来るもの、それは国も同じだ」と勝にいう。勝も直心影流の免許皆伝。二人は意気投合する。「今にては日本第一の人物、勝麟太郎殿といふ人のでしになり、日々兼て思付所を精といたしており申候」と姉の乙女に書いている。竜馬は、勤皇とか攘夷とか佐幕、そういう次元のところで日本の将来をとらえていなかった。海舟に出会って、日本を開国させ、船で世界に飛び出していくのだ、と確信する。その竜馬は勝と出会って5年後に短い生涯を閉じる。31歳だった。竜馬没後、すでに140年も経っている。ところが相変わらず、日本の政治は尋常ではない。あれだけ国民の期待を担って、政権交代、鳩山民主党政権が誕生したのに、7ヶ月たつと支持率が急降下、20%代にまで落ち込んでしまった。評論家は鳩山はだめだという。退陣せよと迫る。普天間基地移設問題で、ぐずぐずしている無能の鳩山首相をオバマは、核安全保障サミットで10分間しか会わなかった、と酷評する。これがマスコミの、特にテレビの手法で、鳩山政権当初は70%の支持率を与えておいて、こんどはなんやかやと騒ぎ立てて下げていく。視聴率をあげるためにはどんな演出でもする。こういうのを「テレポリティックス」というそうだが、この言葉はすでにアメリカには、1958年頃からあった。「テレビが主導する政治、テレポリティックス」と呼ばれたのだ。竜馬などが動いていたころ、一般民衆には徳川政権の末期の世の中の動きはまったくわからない。突如として寺田屋が襲われ、江戸の薩摩藩邸が焼かれてしまう。普天間基地移設問題は1995年、アメリカ兵士の基地内で起こした少女暴行事件が発端だった。海舟は、「咸臨丸が太平洋に出て、アメリカに向かうその船中で、乗組員の心は一つになった。藩もない身分もない、皆が協力一致して目的地に向かう、そこには日本国が、あったんだ」と、軍艦が見たいと言った坂本竜馬にそう説明するのだ。あの忌まわしい戦争が終わって65年、日本を取り巻く世界の国々の状況も変化した。アメリカ軍の日本駐留の条件は根本的に見直される時期にきている。

5月14日(金)乾坤一擲

龍馬がブームである。NHK「龍馬伝」、尊皇攘夷の「土佐勤皇党」・武市半平太が追い込まれ、切腹する。龍馬は脱藩している。「土佐勤皇党」の狭小で過激な考えに合わなかった。江戸の千葉道場に身を寄せる。いよいよ生涯の師となる勝麟太郎と出会う。坂本龍馬をいきなり世に送り出したのは、司馬遼太郎さんだ。1962年(昭和37年)、産経新聞夕刊に「竜馬がゆく」の連載が始まった。4年間、その連載は続く。「龍馬」とあえてしなかったのはフィクションということを強調したかったからだという。それまでは、武市半平太のほうが芝居や映画で取り上げられて、龍馬より知名度はあった。月形半平太と名が変わって出てくる。「月さま、雨が…」、芸者雛菊の差し出す傘に、「春雨じゃ、濡れていこう」と応える名場面、名セリフ。これは日本中だれでも知っていた。それが昭和37年以降変わったのだ。龍馬が幕末物の主役に躍り出てしまった。司馬遼太郎さんは、坂本龍馬の目を通した幕末の出来事を、リアルに、型にはまらない、独特の話の展開で、読者を引きつけた。司馬遼太郎という作家のデビューでもあった。時代劇作家のどの範疇にも入らない独特の筆致だった。その「竜馬」が40年ぶりどこからか出て来たのだ。江戸に出た龍馬は勝海舟を師と仰ぐ。その軍艦奉行・勝海舟も土佐の脱藩藩士・坂本龍馬を弟子にし、重用する。勝の持論は「政治は経済」だった。すると龍馬は「海援隊」を組織し、「亀山社中」というカンパニーを長崎で作る。社中というのは会社のことである。イギリスから鉄砲を買い、薩摩を通して長州に売る。仲の悪かった薩長を「利」で結びつける。一方、幕府にも武器を売る。「政商」そのものである。海援隊の「いろは丸」と紀州の「明光丸」が衝突し沈没するという事件があった。龍馬はこれまでにない海洋事故の解決に、万国法を取り入れた。その事件で龍馬は、七万両もの賠償金をせしめる。これはもう龍馬の、世論操作、政治力、交渉力、広い人脈の駆使、そういう卓越した能力にほかならない。土佐藩脱藩からわずか4年の間にこれだけのことをやってのけたのだ。ところが、この「いろは丸事件」から七ヶ月後、龍馬は京都の近江屋の二階で何者かに暗殺されてしまう。犯人はわからない。新撰組とも京都見回り組とも紀州藩ともいわれている。とにかくこの土佐の異能の若者はあっという間に33年の生涯を閉じてしまうのだ。坂本龍馬を「武」とすると、「文」の方で、四国にはもう一人傑物が続いて出た。その四国の太平洋側にあるのが土佐で、瀬戸内海側に伊予・松山がある。その松山で「龍馬暗殺の年」に生まれたのが、俳人・正岡子規である。この人物も司馬遼太郎さんは、「坂の上の雲」という小説で蘇らせている。坂本龍馬、33年。正岡子規、37年。二人ともほんのわずかなひとまたたぎの人生だった。江戸から明治への日本の大きな転換期に、四国の二人の若者が残したものは大きい

6月11日(金)乾坤一擲

あれだけ期待されて登場した「鳩山政権」。8ヶ月ちょっとであえない最後となった。去年の秋の総選挙で、「政権交代」が実現した。育ちのいい、クリーンなイメージの鳩山由起夫さんの登場には、大いに国民は期待した。支持率は70%を越えた。歴代2位である。事業仕分けは圧巻だった。テレビ中継は大変な話題になった。こういうのは今までにない。ああこれが政権交代なんだ、という強烈な印象を与えた。おかしくなりだしたのは、「政治とカネ」の問題だった。首相と党の幹事長、ツートップにこの問題が襲いかかった。鳩山さんは「偽装献金問題」。献金がないというのは具合が悪い。秘書は気を利かして、政治資金に献金があったと偽装していた。妙な話である。母親は、ブリジストン創始者の長女、莫大な遺産が入った。それを二人の息子に「子ども手当」として毎月1500万円与えていた。小沢さんのは、土地購入などをめぐる疑惑で、検察審査会が起訴相当としたことなどで、国民に説明すべきだと内部からも批判が出てきた。父親の遺産があり、奥さんの実家が経営する「福田組」から相当の援助があってそれを不動産購入にあてていたというのだ。お二人の桁外れの財力が、今回命取りになった。「普天間基地移転の迷走」。鳩山さんの政治家としての経験不足と優秀なブレーンの不在だった。このかたは東大工学部を出て、大学の先生をしていた。突如として政界へ。「絹のハンカチ」は政治の世界ではあまり役に立たない。沖縄のことはだれがやっても解決は難しい。沖縄に米軍基地ができた時と、今はまったく違うからだ。幹事長の小沢さんは選挙上手で民主党が衆議院でこれだけの議員を誕生させたのに、表に出てくるとよってたかって海の底に沈められてしまう。強面で身辺にいつもカネの問題がある。平時には静かにしていて欲しい。ところが一丁ことが起きると、海の底から呼び出される。期待通り、この潜水艦は活躍をする。用がなくなるとあっという間に沈められてしまう。政治というのはきれいごとばっかり言ってはおれない。政治家は聖人君主でなくともいいのだ。国のためにいい政治をしてくれたら、少々のことは眼をつむる。鳩山さんの清新さを前面に出して、小沢さんがどういう政治をするのかもう少し見てみたかった。このところ、阿倍、福田、麻生、鳩山と、首相は1年もたない。論語に「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」という言葉がある。「人民は黙って政治には従うべきで、いちいち内容を説明するべきものではない」という意味にとらえられている。そうではなくて「人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と言うのが正しい。政権は内閣支持率の低下とともに追い込まれてしまう。そいう図式が出来上がってしまった。支持率とは何なのか。この孔子の「之を知らしむべからず」という言葉。日本の政治を考えるいいキーワードのようである。

6月25日(金)乾坤一擲

五月場所前だった。一部週刊誌に大関・琴光喜は野球賭博で恐喝されていると報道された。本人はそういう事実はありません、と
きっぱりと否定していた。これは八百長が、あった、なかった、という疑惑のように証拠がなくうやむやになるのだろう、と思っていた。ところが、名古屋場所直前、一転して、やっていたと認めてしまった。大騒ぎである。そのあと出るは出るは、こんなに広まっていたとは驚きだった。日本相撲協会は公益法人である。文部科学省が管轄する。不祥事は一度ならず
二度、三度起きている。大相撲存続の危機だ。この野球賭博という言葉がこんなにマスコミに表れたのは久しぶりである。40年前のことだった。1970年、プロ野球界でこの野球賭博にからんだ「黒い霧事件」が起きた。現役の野球選手が野球賭博に関係し、わざと負けるという敗退行為疑惑が発覚した事件だった。当時、福岡をフランチャイズにしていた西鉄ライオンズという球団があった。そこのエース・池永正明が永久追放になった。稲尾和久に並ぶ伝説のピッチャーだった。ゴルフのジャンボ尾崎は同じ年に入団した。彼の隣でピッチング練習をしてその球の早さに驚いて、ゴルフに転向した。今の楽天の「マーくん」のように実力も人気もあった。野球賭博の疑惑で上がった有名な選手はかなりいた。中でも池永正明は超一流。その池永を、プロ野球界は永久追放したのだ。本人は八百長に荷担してないと主張。先輩にお金は渡されたが、「預かってくれ」と言われたので押入にしまっていただけだと釈明したが、認められなかった。まだ24歳である。103勝していた。間違いなく200勝はした選手だった。彼は二度とプロ野球のマウンドに立てなかった。まわりの働きかけもあって、35年後、2005年、プロ野球機構は彼の処分を解除している。もう60歳になっていた。池永正明が見せしめになった。その後プロ野球界では賭博にからんだ八百長試合など一切起ってない。40年ぶりに野球賭博が話題になったのが、野球界でなく相撲界でだった。ああいう世界だから賭事は健全娯楽の範囲では許されていいだろう。ところが野球賭博は胴元がヤクザ、暴力団である。彼らの資金源になっている。賭ける金額も大きい。一口、一〇〇〇〇円。「ハンデイ師」がいて、対戦チームの調子を見てハンデイがつく。実際の得点差でなくそのハンデイで賭の配当が決まる。元貴闘力の大嶽親方の力士時代の部屋のおかみさん、藤田憲子さんがテレビで、「彼は賭事が好きで競馬に行ったことがバレて親方にこっぴどくしかられていたことがある。部屋では、力士たちがそういうことに手を染めてないか、しっかり監視しいていたが、その頃は野球賭博はなかったような気がする。最近急に出てきたのでは…」と話していた。阿武松部屋付きの床山の実兄が暴力団で、賭博の窓口になっていた。髪を結いながら持ちかけるのだから、話は早い。あっという間に広まった。プロ野球界は、「伝説のエース」池永正明をスケープゴードにして、「プロ野球を覆った黒い霧」を追い払ってしまった。その後こういった賭博に絡んだ事件は、ない。大相撲もここが正念場。大きな犠牲を払っても、改革を断行しなければ、その腐敗した体質を変えることは難しい。

7月 9日(金)乾坤一擲

野球賭博に関わったとして、琴光喜、大嶽親方が解雇と処分決定がなされた。あれは五月場所をやってる最中だった。12日目の5月20日、週刊新潮が発売された。琴光喜が野球賭博で暴力団に脅されていると報道されたのだ。事前にキャッチした報道陣の質問に、11日目の取り組み後、「知らない」ときっぱり否定した。これまでの八百長問題のように証拠不十分、うやむやになるだろうと思っていた。ところが場所が終わると様子が一変した。相撲協会の調査で、賭博の実体が明らかになり、関わっていた力士が出るわ出るわ、大騒ぎになったのだ。琴光喜も「やってました」と自白。暴力団とのかかわりを持つ元力士の弟が床山で、野球賭博の賭け金を取りまとめていた。それに元貴闘力の大嶽親方も関与していたのだ。協会は全相撲関係者に調書をとった。その結果、65人が野球賭博やマージャン、花札など賭事やっていたと認めたのだという。もっといるんだろうが自己申告だからはっきりした人数はわからない。大相撲の世界は男の世界である。現金決済主義で、給料も賞金もすべてポンと現金で渡される。部屋にごろごろしてれば花札ぐらいはやるだろう。ところが、それが一般社会とはカネの感覚が違うのだ。賭ける額は並ではない。一夜で百万円単位で消えてしまう。時津風部屋の暴行事件で亡くなった時太山のお父さんが、「せがれがよくいってました。札束を積んで花札やってるのをみて驚いたって」と部屋での賭事の実体を話していた。これが野球賭博となると胴元は暴力団である。動くカネも尋常ではない。現役時代からバクチ好きの大嶽親方は、大横綱大鵬の女婿。名門を継いでいる。琴光喜は佐渡ヶ嶽部屋である。部屋が違う大関と親方が野球賭博で親密に連絡を取り合い大金を賭け、情報をやりとりする。こういう大相撲の裏の体質が露呈してしまった。そうなると大関同士の星のやりとり「大関互助会」も何か真実実を帯びて来る。8勝6敗と7勝6敗の大関同士が千秋楽に対戦する。相撲がどういう結果になるか、はっきりするではないか。八百長というと、あれはそうだったと言える取り組みが二番ある。平成7年九州場所、貴乃花と兄の若乃花の優勝決定戦での一番、なにもしないで貴乃花は負けた。それと同じ九州場所平成9年の貴乃花と同門の貴ノ浪にも仕切のあと立っただけで、貴乃花は無謀なすくい投げを打って負けている。賭博と八百長は相撲の世界では暗黙の了解なのだ。名古屋場所の開催前、文科省は外部委員に徹底的にメスを入れさせた。ところが、その委員の村山弘義元高等検察庁検事長が理事長代行を勤めるとすることに、理事の放駒親方が抵抗。相撲人以外の人に土俵にあがらせないというのだ。トップがこれだ。危機感もなにもない。ファンはあきれてチケットの払い戻しが殺到。皮肉なことに貴重な新番付は大人気だという。もう大相撲は一回解体して、出直したほうがいい。

7月23日(金)乾坤一擲

参議院選挙が終わった。民主党惨敗である。国民は1年前とは正反対の選択をしたのである。「政権交代」の民主党のキャッチフレーズはインパクトがあった。国民の熱狂的な支持があった。発足当初の鳩山由起夫首相の支持率は70%を越えるものだった。それがわずか二百六十六日で終わってしまったのだ。その直後の参議院選挙だった。鳩山・小沢体制では選挙は戦えない、という党内事情で菅直人新首相が選ばれたのだ。ところが菅さんは、消費税を上げ
ると言い出した。消費税と選挙では、1979年、大平正芳首相が「一般消費税」構想をぶち上げて、自民党は過半数割れに追い込まれる大敗を喫しているのだ。参議院選挙に普天間問題は避けたいということだったのか、自民党が打ち出している「消費税10%」に論戦を持ち込んだのだ。唐突だっだ。国民は、菅民主党では税が上がるというふうに取ってしまう。結果、民主党44、自民党51、みんなの党10議席。民主党の議席は「みんなの党」流れてしまった。過半数割れ、衆参両院で多数派が異なる「ねじれ国会」だ。野党が主導権を握る。日本は、安定しない政治状況がまたぶりかえした。こんなにコロコロ変わっていいのかと思う。じっくりやらせてみろ、といいたい。このところ首相は在任期間が短すぎるのだ。4年とちょっとの間に、安倍晋三内閣は三百六十六日、福田康夫内閣が三百六十五日、麻生太郎内閣が三百五十八日で、鳩山さんは一年ももたなかった。4人も代わって、菅さんで5人目である。どんなに優秀な政治家でも一年で何かをなすのは至難の業だ。時間を与えなければ何にもできない。支持率など世論調査に左右され突然不安定になり、「首相交代」コールが上がる。それをあおるジャーナリズムやマスコミも問題なのだが、国民も性急しすぎる。短命内閣は日本の国際的なイメージを悪くしてしまうのだ。先進国の首脳会議で日本だけがその都度首相が替わっていては、コミニュケーションの取りようがない。思い切って今の日本の政治システムを変たらどうだろう。日本の議院内閣制では、小選挙区と比例代表で議員が選ばれる。それぞれ三百人と百八十人なのだが、多すぎる。さらに参議院議員は二百四十二人。その中には、政治家とはどうかと思うような大局観もなにもない、タレント議員がはびこっている。議員を減らすべきだ。衆参両議院、半分以下でいい。そうしておいてそれぞれ政党が推薦し、国民投票で大統領を選ぶ。任期は四年でいいだろう。アメリカのように三期はできない。日本では市長や県知事の選び方はそれに近い方法なのだが、国だけ議員内閣制になっている。議員たちは国民目線に立っていない。自己保身に汲々としている。これでは日本の政治は安定しない。国会議員を減らしてしまおう。そして大統領制に移行させることだ。早いほうがいい。国民が直接選んだ大統領に最低4年じっくりと政治をやってもらう。国内、外交、一貫した方針で取り組まなければ、日本は世界から取り残されてしまうだろう。

8月20日(金)乾坤一擲

8月10日だった。元衆議院議員、浜田幸一逮捕のニュースがかけ巡ったのだ。えっ、あの「ハマコー」?。最近、車椅子に乗っておられるのをテレビで見たことがある。息子の靖一氏に地盤を譲って、もう悠々と余生を送っておられるとばかり思っていた。それが突然、逮捕、である。国会では「暴れん坊」で通っていた。強面で議員の前はやくざだったと巷間伝わっていた。今回は、暴力を使った傷害事件か何かか?そんなに元気になられたのか?一瞬そういう思いが走ったが、事件はまるで違っていた。詐欺事件だった。モンゴルの金山開発事業の話に乗って知り合いの会社に投資させて失敗したのだ。「ハマコーがハマった」と一部のスポーツ紙の見出しが踊っていた。81才である。今夏の参議院選挙では車椅子に乗って選挙応援をしていたそうだ。逮捕に踏み切ったのは健康状態に問題はないことと、証拠隠滅のおそれがあると、当局が判断したからだった。金埋蔵の話はあの蒙古・ジンギスカンの国でのことである。巨大な国だ。その蒙古の大草原のどこかに金が埋蔵している。そうかも知れないと思わせるような
神秘の国なのだ。「投資したらそりゃー儲かりますよ」。誘惑があったのだろう。百戦錬磨のハマコーさんもあっさりとハメられてしまった。実際、金を堀当てたという話はあるのだそうだ。あちこちにあるわけでなく、100に一つ。1%の確率だという。最近、モンゴル政府は採掘許可をしないと発表している。かの国ではトラブルを察知したのに違いない。もういいんじゃないの、ハマコーさん。年貢の納め時だ。これまで刑務所の塀の上をぎりぎり歩いているような人生だった。よく向こう側に落ちなかったものである。小学校しか出てなく、母を助けてリヤカー引いての親孝行物語はこの人の売り物だった。青年団活動を通じて竹下登や野中広務と知り合い、政治の道へ入り込んで行く。1969年(昭和44年)に千葉3区から衆議院議員へ。石原慎太郎、中川一郎、渡辺美智雄らとの、民族主義右派、「青嵐会」結成で一躍マスコミの寵児になる。さらにこの人が有名になったのは、自民党本部前のバリケードを取り壊している時の雄姿である。ことあるたびにこのシーンは流される。「国会の暴れん坊」の面目躍如である。ところがラスベガスのカジノでとんでもないことをやらかしてしまった。5億円近いお金を一晩ですってしまったのだ。1980年のことだ。後始末はロッキード事件の当事者小佐野賢治である。大問題になって議員辞職。後に復活する。その後も法務大臣をぶん殴る。共産党の宮本顕治氏を殺人者と発言する。よくまあこれで議員を続けられたものである。訳の分からないタレント議員の横行も国民を愚弄しているとおもうのだが、長々と国会議員「ハマコー」を白亜の殿堂へ送り込んでいた愚かな投票行為にも、国民として恥ずかしいことと思わなければならない。とうとう晩節を汚してしまった81才の「ハマコー」さんに、今回は、国民は誰も同情はしないだろう。

9月10日(金)乾坤一擲

8月27日、オランダの柔道家、アントン・ヘーシングさんが亡くなった。76歳だった。昭和39年、柔道がオリンピックの正式種目になった東京オリンピックで無差別級で日本代表の神永昭夫を破って金メダルを獲得した人だ。期待は日本の全階級制覇だった。外人は机椅子の生活だから腰が高く下半身が弱い。オリンピックの柔道では、永久に日本は金メダルを取りつづけるだろうと甘くみていた。柔道がオリンピック種目になった最初の大会でそれが覆されてしまったのだ。ショッキングな出来事だった。ヘーシングさんは日本人柔道家の道上伯という人に見出され長年指導を受けていた。20歳の時だった。オリンピックの3年前、世界柔道選手権大会で、曽根康治を袈裟固めで破って優勝している。上からのしかかられると動けない。大会前の稽古で神永は靭帯を痛めていた。それを隠して出場。案の定、調子が上向きのヘーシングさんの巨体は揺るがない。神永は翻弄され、袈裟固め一本。その後の、勝者・ヘーシングさんの態度は見事だった。オランダの関係者が歓喜のあまり試合会場の畳の上に駆け上がろうとするのを手で制して追い払った。敗者の神永への配慮だった。というより柔道を学んでいる間、自然に身についた日本の武士道精神がそうさせたのだ。その後、馬場に誘われてプロレスラーとして突如デビューした。。柔道着を着るとびくともしないが、裸だとまるでダメ。本人もこれは柔道と違うと感じたんだろう。すぐにやめた。東京オリンピックでの爽やかな外人柔道家の印象が強かっただけに、あれはヘーシングさんにとって悪夢のような時期だった。その後は指導者としての活動に専念。長年、国際オリンピック委員会の委員など務めている。◆9月に入るともうひとり戦後の日本相撲界の復興と、万全たる基盤を築いた、「土俵の鬼」、初代若乃花・元二子山理事長の訃報が報じられた。日本の伝統的な格技といっていいだろう、柔道と相撲から、二つの巨星が静かに落ちていった。東京オリンピックが開かれる前の日本はテレビの普及がすさましく、プロ野球と相撲の人気はピークに達していた。野球は、王と長嶋。相撲は、栃・若の時代だった。両者、軽量でそれを補うのに猛稽古で地位を確保していった。下半身の強さ、腰のばね、ま、今の力士に、しのぐものはいない。昭和31年、横綱をかけた9月場所前、若乃花は長男をちゃんこ鍋をひっくりかえして、火傷して亡くすという悲運に見舞われる。稽古どころではなかったが、その愛児の名を刻んだ数珠をさげて場所入り。支度部屋では一言も発しない姿は鬼気迫るものだった。初日から12連勝。全勝優勝かと注目された。13日目、突如発熱、高熱に襲われ休場。千秋楽は出ると意欲を示した。相手は横綱栃錦。ところが病状思わしくなく休場。横綱の夢は消えたが、人気は急上昇。翌年、日活が「若乃花物語・土俵の鬼」を制作する。大ヒット。その年、第45代横綱に推挙される。現役時代・好敵手だった栃錦と若乃花は、親方になり相撲協会の理事になると、がっちりと手を組み、両国の国鉄跡地に悲願の国技館を完成させた。柔道のアントン・ヘーシングさんと、「土俵の鬼」初代若乃花。残していったものの大きさをつくづくと思う。

10月 8日(金)乾坤一擲

尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船と中国の漁船が追突したというニュースがかけめぐったのは9月8日のことだった。その前日、7日の午前、日本の領海である尖閣諸島付近で操業していた中国漁船に巡視艇が停船を勧告。それを無視し、追突をくりかえした。巡視船2隻が破損。中国の船長は公務執行妨害の疑いで逮捕された。尖閣諸島は明確に日本の領土である。中国と台湾が1971年頃から領有権を主張し始めてからぎくしゃくして来た。日清戦争中の1895年から日本領土となっている。尖閣諸島の海底に大量の油田が眠っているという調査結果が出てから、中国、台湾が「俺たちのものだ」と主張し始めた。加瀬英明氏と石平氏との対談集・「ここまで違う日本と中国」という本がある。『「公」を大切にする日本と「私」しかない中国。何事かが起きると日本人が「相手に悪い」と思うのに対し、中国人は「相手が悪い」と思う』と中国人である石平氏が指摘している。明治の勝海舟伯爵も、清という国は、国ではない。大勢の人がいて、みんながそれぞれ勝手にやっているだけ。ただの集団だと、喝破している。情報がそんなに多くある訳ではない時代に、こういう問題は起きるだろうと尖閣諸島問題を予見しているのだ。一党独裁の政治仕組みでないと治まらない国ということである。船長は25日処分保留で釈放された。何でなのか、まったくわからない。中国の飛行場に着いた船長をTVで見た。タラップから降りる船長の身体つき身のこなし、あ、あれは軍隊で鍛えられた軍人だと思った。ただの漁船の船長ではないのだ。後ろに巨大な力が働いている。やらせたのだと直観した。この事件に合わせたかのようにロシアのメドベージエフ大統領が26日から3日間の予定で中国を訪問し、胡錦濤国家主席と会談した。日本とは北方領土の問題かある。これに両国がピタリと照準を合わせたのだ。会談のあと、メドベージェフ大統領は北方領土を訪問すると発表している。したたかである。中国はフジタの社員4人が軍事管理地域に許可なく侵入し無断で写真も撮影したとして身柄をを拘束した。3人は釈放、残り1名は依然として自由を奪われたたままである。船長逮捕に合わせて、平和ボケの日本人をねらったのである。人質にとってしまった。旧日本軍の遺棄化学兵器処理事業の入礼参加に向けて下見をに行っているだけ。仕事なのだから写真は撮るだろう。うっかり撮ったとしてもカメラ押収後罰金で済むようなことだ。それを逮捕して拘束してしまうことはない。こういう国の恐さはそのことが上部に伝わると「すぐに逮捕監禁だ」と司令が出ることだ。中国の船は明らかに巡視船に体当たりしている。うっかり領域に入ってしまったということではない。中国の船長の行為と、フジタ4人の社員の不法侵入と同次元のことにすりかえてしまたのだ。尖閣諸島の日本の領域に漁船にカムフラージュしたスパイ船をこれからも送り込んで来るだろう。日本の政府はこういう問題になるとからきしダメ。仙石官房長官となるとすんなりと船長を釈放してしまう。フジタの社員釈放の交渉の道具にすら出来なかった。それはもう日本政府そのものの人格といっていい。政治に迫力がないというのは情けないことで、周辺の国々になめられてしまう。ただ、日本の政治がそうなのは、日本人ひとりひとりの責任だということを忘れてはならない。

10月22日(金)乾坤一擲

3という数字は奇跡と神秘の数字だそうだ。10月13日に始まったチリのサンホセ鉱山で起きた落磐事故の救出劇。625m地点に68日間閉じ込められている33人の救出ために、レスキュー隊がカプセルに入って地下へ。33人を次々と地上に引き上げた。8月8日に事故が起きた。700m近くの抗道の中だ。人がどうなったかはわからない。まず絶望と見るのが当然だろう。ところが、8月22日は地上から掘られた探査用の細い管が避難していた場所と奇跡的に通じて作業員の33人の生存が確認された。確率は1%もない。この穴が通じたのは15日目、食料が尽きて、絶食は72時間に達していた。間一髪だった。33人とレスキュー隊が地上にに上がって救出劇が完了したのは10月14日午後0時32分。予定より早く、一日で終了した。犠牲者はほかになかったのか。その報道はまたく聞かなかったが、落盤事故で地下に閉じ込められていたのは、33人だけだったようだ。全員が助かったのならこれはやっぱり奇跡だ。この「33」というのは、産経新聞(10月15日発行)によると不思議な数字なのだそうだ。救出劇が始まった2010年10月13日の月と日、西暦の下2けたの数字を合計すると33になる。抗道堀削に要した作業の日数は33日。トンネルの直径は66pで、33の2倍。キリストが十字架にかかって昇天したのは33歳のとき。なるほど神秘的で奇跡の数字である。数字の不思議なことはもうひとつ。以前、アンデス山中に墜落し、生還した「アンデスの奇跡」といわれる航空事故があった。墜落したのが1972年10月13日。何と、それは落盤事故救出が始まった日なのである。あの飛行機事故は生存者の中に医学生がいて、人肉を食べなければ生きていけない、と主張。それも生肉を食べて生き伸びたという事実がわかって世界中が凍りついた。「アンデスの奇跡」という映画になっている。同じ南アメリカ大陸のアンデス、それも空と地中の奇跡である。今度の落盤事故救出劇もハリウッドは見逃さない。事故後ずっとリーダーップを発揮し続け33人目に上がってきたドン=Aルイス・ウルスアさんをハリソン・フォードがやるらい。愛人問題が発覚し、この救出劇の"影のスター≠ニなったヨニ・バリオスさんと、妻と愛人、3人を誰がどう演じるか、興味はこちらに集まる。こっちの方が主役を食ってしまうに違いない。

12月10日(金)乾坤一擲

2010年も残り少なくなった。あわただしいというより何か未熟な民主党政権の政治手法にふりまわされ、どこか消化不良の毎日だったような。そもそも、「鳩山由紀夫政権」が短命で、あっという間だったからだ。「政権交代」が2009年流行語大賞のグランプリに選ばれるくらい大きなな期待があった。ところが、今年の大賞は「ゲゲゲの…」だという。NHKの朝のドラマ。「ゲゲゲの鬼太郎」原作者、水木しげる夫妻の苦労のドラマがそう注目されていたようにも思わない。そもそも「ゲゲゲの…」という言葉は流行ってましたか?それよりか、年も迫って飛び出した、「影の総理」といわれる仙谷官房長官の、自衛隊「暴力装置」発言。これにはびっくり仰天。この発言がもう少し早ければ流行語大賞上位だったに違いない。これは特殊な言葉で、その世界では日常当たり前に使われていた。仙谷長官はかつてそういう世界にいたんだということを自ら証明してしまった。1969年(昭和44年)、東大安田講堂攻防の時の全共闘の闘士が仙谷由人その人だった。今どき自衛隊を「暴力装置」という人はいない。それが政府のナンバー2から飛び出した。民主党の本性を国民はすっかり見てしまった。民主党は自ら支持率急降下へのアクセルを踏んでしまったのだ。どんどんさがりだして、今25%。そういう意味では、今年の大賞は「暴力装置」がふさわしいんではないかと思う。そうすると、大賞は2年連続民主党に輝いたはずだった。昨年の大賞「政権交代」に、以下トップテンには「事業仕分け」「草食男子」「脱官僚」「派遣切り、「歴女」…など社会的に重厚な言葉が並ぶことに気がつく。今年はどうかというと、「いい質問ですネ」「イクネン」「食べるラー油」「ととのいました」…、去年の勢いがみられないない。言葉は生き物。「政権交代」で盛り上がった空気がどんどんしぼみ「政権不安定」。流行語には世相がシビアに反映する。そもそもこの流行語大賞というのは、自由国民社の「現代用語の基礎知識」がその年よく使われた言葉、新語を選んで発表する企画だった。1984年(昭和59年)に始まった。その年の大賞は「オシンドローム」。これがもう27回も続いている。ところがインターネットの時代になってYAHOOやGOOGLEで検索するとたちまちのうちに調べたい情報を入手できるのだ。今はこちらを重宝している。すっかりこの本のことは忘れていたが、暮になると流行語で話題になる。これからさらにWEBサイトは進化するだろう。「ウイキペディア」というのがある。WEB上でみんなが共同して百科辞典を作り利用するものだ。中国漁船衝突事故の映像が流出した「ユーチューブ」というのは動画共有サービスで、個人が番組を編集して楽しむことが出来る。それと全世界が驚いた「アメリカ国務省の公的電文」を流出させた「ウイキリークス」の存在だ。今年の流行語大賞にあまりインパクトがなくなったというのは、インターネット時代の急速な進展で時間と空間のこれまでの常識が通用しなくなったことに気がつてきたからではないか。これからの時代がどうなっていくのか。2011年の予測はまったくつかない。

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