社論・乾坤一擲管理
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1月15日(金)乾坤一擲    青葉区版393号


 昨年暮れ、芝高輪泉岳寺に行った。赤穂浪士、吉良邸襲撃後、主君浅野内匠頭 眠る墓に仇討ち成功の報告に向かったお寺である。吉良邸跡の史跡には何度も行ったが、ここは初めてだった。周りはビル群、寺の敷地は思ったよりこじんまりしていた。四十七士の墓碑は当時のままだが、人々の彼等への想いが脈々と受け継がれ、長年の手厚い供養がうかがわれる、そういう雰囲気のお寺だった。元禄15(1702)年12月14日。赤穂浪士のひとり大高源吾はその前の晩、俳句の師匠の宝井其角に「年の脊や水の流れと人の身は」と投げかけられ、「明日待たるその宝船」と返している。江戸中が赤穂浪士たちがいつ決行するか密かに期待していたのである。徳川幕府側にとっては赤穂と吉良の処遇、体制を維持して行く上の正念場だったのだ。吉良邸を大川を挟んで向こう側の本所に移させたのも仇討ちの環境を作り出す幕府側の策。浪士たちに吉良を討たせてもいいとそう思っていた。吉良邸から泉岳寺までの凱旋行軍。江戸市民は熱狂した。七代将軍綱吉は徳川幕藩体制を更に強固にするため赤穂浪士たちを上手く利用したのである。映画全盛時代お正月映画は毎年どこかが「忠臣蔵」を封切った。テレビ時代、昭和39年、NHKの二番目の大河ドラマ、長谷川一夫の「赤穂浪士」は、討ち入りの場面、53%という最高視聴率を記録した。最近、この大河ドラマは低調で、幕末の吉田松陰の周辺を取り上げた「花燃ゆ」は期待はずれだった。今年は真田幸村の「真田丸」だという。大正時代発行されて子供たちに大人気だった「書き講談」といわれる立川文庫のシリーズ。「猿飛佐助」、「霧隠才蔵」、など真田十勇士の活躍は戦後は漫画で大人気。チャンバラ全盛時代、ドローンと瞬時に消えてしまう忍者にはあこがれた。真田幸村よりは、子供たちの中では、勇敢な10人の侍たちのことが話題になっていた。関が原の戦いでは豊臣方、西軍につく。東軍の徳川方に敗れ、紀州の九度山に幽閉される。15年間、甲賀や伊賀の忍者の里の近くに暮らすのだ。このあたりに十勇士が生まれる背景があるようだ。架空の人物もあれば実在もいるという。大阪冬の陣、徳川軍は大阪城を総攻撃。真田幸村は、城外に「真田丸」という砦を築き、家康軍に応戦する。今回どうかなと思わせる56作目の大河ドラマである。

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2月12日(金)乾坤一擲    青葉区版394号

2月3日の朝だった。元プロ野球選手の清原和博、覚醒剤所持の現行犯逮捕、のニュースである。一部週刊誌で噂があった。やはりあの風体である。そうかもしれないと思っていた。桑田清原世代というのがある。1967年、1968年生まれの世代のことだ。このPLコンビの甲子園での活躍は凄かった。小柄な桑田の頭脳的なピッチング。188センチの清原の豪快なバッティング。彼の甲子園で13本のホームランはいまだに破られていない。この二人の関係を揺るがしたのが、1985年のドラフト会議である。清原は巨人に行きたいと希望していた。桑田は早稲田大学進学。プロには行かないと宣言。ところが清原には巨人をのぞく6チームが指名し、抽選で西武へ。何と巨人は桑田を1位指名し獲得した。清原、涙の記者会見である。世間の同情は清原に集まった。マスコミも便乗。翌年の日本シリーズで清原は巨人を破る勝利の瞬間、一塁守備についた清原の憚らぬ嗚咽。判官びいきで清原の人気はさらに国民的なものになった。桑田を取るための巨人の陰謀だったと一部報道されていた。ところが清原はあそこに巨人が指名に加わっていても、クジなのだから行けていたかどうかわからない。あのマスコミの騒ぎは何だったんだろう。あれから30年たってこの覚醒剤事件である。移籍した巨人での選手生活。元同僚も当時から覚醒剤を使っていたと証言している。球界の盟主として君臨する巨人軍。昨年の現役選手の野球賭博事件に告ぐ元スターの不祥事である。イメージダウンは避けられない。キャンプが始まっているが、宮崎での人気はソフトバンクがダントツで巨人はガクッと落ちているそうだ。テレビ送信技術の改革進歩で中継映像の迫力。これはサッカー人気をあと押ししている。さらに五郎丸歩という新しいタイプのラガー出現だ。今、日本中のラグビー場に人が集まりだした。ラグビー台頭の兆しである。戦後、野球一辺倒だった日本のスポーツ。この清原事件が、なにやらそれを変える予兆のような気がしてならない。

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3月18日(金)乾坤一擲    青葉区版395号

あれからもう5年経つんだ。2011年3月11日。金曜日だった。午後2時46分、突然、ドンとビルが立てに揺れた。揺れたというより何かが突き抜けたという衝撃。これは凄い地震だ。どこだ!テレビをつけると震源は東北沖。津波の映像が次々と映し出される。押し寄せる波。飲み込まれる建物。港の周りを車が走り回る。現実とは思えない。夕方になると都心は交通網が寸断し帰宅難民で駅は人の渦。福島の原子力発電所が爆発し夜空に燃え上がる。死者行方不明18000人。あの東日本大震災の悲劇からもう5年経ったのだ。日本は世界で名高い地震国。北米プレート、太平洋プレートが交錯し、歴史上、地震の記録は多い。1995年(平成7年)1月17日に起きた阪神淡路大震災の記憶はまだ鮮明に残る。14万にとも言われる死者が出た関東大震災は大正12年9月1日のお昼時に起きた。その前には黒船襲来したときの「安政の三大南海地震」。1854年三つの地震が続いた。そのあと日本は一大転機を迎える。吉田松陰などが斬首された井伊直弼の「安政の大獄」である。こういった日本の地震の歴史を調べていて、第2次世界大戦の終末を迎えるころ奇妙な地震が起きていることに気がついた。当時の軍部はこれらを伏せているのだが、終戦前後の四大地震といわれるものだ。まず、鳥取地震。昭和18年9月、終戦の2年前だ。東南海地震、これは昭和19年12月7日、真珠湾攻撃から丁度三年経っている。すると年が明けてすぐ1月13日、M7.9の三河地震である。「数日たったら、B29が来て、ビラをばら撒いて行った。毛筆で、地震の次は何をお見舞いしましょうか」と書いてあったと、証言するのは、俳優の土屋嘉男さん。そのあと原爆が長崎・広島に落ちている。「人工地震」の研究はアメリカでは相当なされていた。日本軍部は「米軍は地震兵器で日本を攻撃しようとしている。笑止千万!」と言っていた。ところが戦争が終わるとこの「終戦前後の人工地震」の情報はどちらからともなく封印されてしまった。東日本大震災の時もアメリカが起こした人工地震、という風評が流れた。米軍の献身的な「トモダチ作戦」でこのいやなムードは打ち消された。戦争は人間を狂気の世界に引きずり込んでしまう。人工地震兵器というもの、
平時にはあってはならないものである。

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4月 8日(金)乾坤一擲    青葉区版396号

石原慎太郎元東京都知事の書いた「天才」が話題になっている。44万部、現在売り上げ第一位なのだそうだ。「天才」というのは田中角栄元総理。20年前に亡くなっている。今はもう知らない人が多いのではないか。1976年ロッキード事件が発覚して、窮地に立たされていた田中角栄元総理の急先鋒だったのが石原慎太郎衆議院議員。犬猿の仲、この表現しか見当たらないが、仲がよろしくない間柄というのが、ま、定説だったろう。それがどうして田中角栄=天才なのか。小紙は、石原慎太郎、「太陽の季節」で芥川賞受賞のニュースを九州の田舎の小学6年生の時に知る。「太陽族」が湘南の海を闊歩している時、小さな川で、やっと「海パン(海水パンツのこと)」を手に入れて、嬉々として泳いでいる。湘南とは憧れの夢の海である。越山・田中角栄との接点は1963年(昭和38年)である。湘南の海に憧れた少年が、勇躍東京に遊学する。拠点となる学生寮が田中角栄大邸宅のすぐ近くである。地名も目白台といった。娘の真紀子さんとは大学へ行く先は同じ方向。歩いて行ける。ある日、学校から帰るとき急に雨が降った。目の前の女子学生の前に黒塗りの大きな自家用車が止まった。彼女はサッと後部座席に乗った。そのまま車は走り出した。あっという間だった。「あ、あれは?」。車を見送って、濡れたまま、こちらは寮に向かて歩き出した。ご近所の、彼女のお父上は当時池田内閣大蔵大臣田中角栄、44歳である。飛ぶ鳥を落とす勢いだった。大蔵大臣に就任して大蔵省幹部たちにこう訓示した、「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。何でも言ってくれ。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上。」この豪腕田中角栄、総理大臣になったらすぐ中国と国交を回復してしまった。これが命取りになった。虎の尾を踏んでしまったのだ。虎、そうアメリカはロッキードを使って生意気な田中角栄を攻撃してきた。国内の急先鋒は石原慎太郎。「君 国売り給うことなかれ」。文春で彼の金権体質を批判した。その張本人が都知事を体験した後、今、田中角栄がいたならと何度も思ったと述懐している。「コンピューター付きブルトーザー」の威力に気が付いたのだ。田中角栄が亡くなったのは1993年12月16日。奇しくも石原慎太郎の政界引退が、21年後、12月16日その日なのである。

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5月13日(金)乾坤一擲    青葉区版397号

このところマスコミは舛添要一東京都知事の一連の言動にぴたりと照準を合わせている。この人は突如として、1980年代、「政治学者」の肩書きでテレビ界に現れた。「朝まで生テレビ」、「サンデープロジェクト」、「ビートたけしのTVタックッル」などの番組である。その後も何かと話題の多い人だった。当時、海外では湾岸戦争など流動化する国際情勢の中、国内はリクルート事件、消費税導入、オーム真理教事件など社会は揺れ動いていた。こういう問題を縦横に論じ、舛添要一、マスコミの寵児だった。「あの人は政治家になるために政治学者になったような人。上昇志向で回りは見えない」と、長い付き合いのあったビートたけし。自民党参議院議員となり、なんやかやあって、除名され、新党改革を作って代表になるが、その後、立候補せず、政界を離れる。ところが降って湧いたように、また、チャンスが巡ってくる。猪瀬直樹都知事、金銭問題で辞任の後、出馬を決意。当選してしまうのだ。確かに、任期半ばで突然の都知事選び、候補としては適任かもしれない。後脚で砂をかけるように出ていった人物。それでも藁をも掴むおもいで自民党東京都連は推薦してしまう。2020年の東京五輪を成功させる、これが都知事の直面する大きな課題なのだ。日本中が見守っている。今回の舛添要一都知事の海外出張費、ロンドン・パリへ5000万円の大名視察、と問題になった。五輪開催に向けて外国要人との接触は何も悪いことではない。ところがその出張の費用が破格なのだ。猪瀬直樹前知事も何もそんな高級ホテルでなくてもいい、と批判する。このあたりからあの「文春調査団」が蠢きだす。湯河原の別荘に公用車で毎週通っていることがわかる。ちょうど熊本地震の余震が続いている時である。東京でこういった災害が起きたらどうするのか。「副知事がいるから対応に問題はない。ここから一時間で東京に戻れる。」。そうかな?。どうも危機管理に甘さがあるようだ。関東に地震が起きたら、すぐに首相官邸と周りの都県と密接な情報交換体制をとらなければならない。湯河原で子供たちと温泉に入っている場合ではない。舛添都知事のさらなる身辺問題は今週の「週刊文春」に取り上げられた。カネの問題だ。この方、九州の八幡出身。父親は炭鉱を経営。少年時代は比較的裕福だったが父親の死後、家業も傾き貧困の中、苦学して東大法学部を卒業。そういう境遇から今日の地位までのぼりつめた。隙があるのだろう。今回ピンチである。ただ、都知事の座、今、まかせられる人がいるのか?変える時間もあるのか?知事の能力とそういった身辺の諸問題。五輪を前に東京の大きな試練である。

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6月10日(金)乾坤一擲    青葉区版398号

北海道で幼児がキノコ狩りで行方不明になった、そうじゃなくて言うことをきかないので、「しつけ」のため樹林帯の中に置いてきたら行方不明になった、そんなニュースが走った。5月28日、土曜日である。29日の朝から捜査が開始された。北海道函館の近くの七飯町だという。この季節、寒さは心配ない。どこか木の陰にもぐりこんでいてすぐ見つかるだろう、と思っていたら、捜査三日目になった。災害でよく言われる「72時間の壁」である。これは何か事件に巻き込まれたのか?車から降ろされた所に何処からやってきた車に連れ込まれた?新しい熊のフンが近くで発見されたらしい。やはり動物に襲われたか?行方不明にしなければならなかった複雑な家庭内の事情?それとも何か障害をかかえている少年ではないのか?さまざまな憶測が飛んだ。ところが六日目の6月3日の7時50分、発見されたというニュースが流れた。置き去りにされた山の中から直線で5`。自衛隊の演習場の中の兵舎である。これには家族は飛び上がったにちがいない。樹林帯のまわりを声をかけながら探していたおばあちゃんの喜ぶ顔が浮ぶ。このニュースは世界を駆け巡った。欧米ではやはりこの父親の、山中に置き去りにして「しつけ」を行った行為に厳しい批判が集まった。あとはこの「奇跡の生還」への驚きの声である。よく助かったもんだ、と大和くんの生命力に感動、である。29日、早朝からの捜索は樹林帯の中から始まった。大和くんは泣きじゃくったあと顔を上げて追いかけた道、方向が分からなくて、反対方向に駆けていったのだという。父親はキノコ狩りの最中でなく、クルマから道路に降ろしたのだから、半袖の少年が「藪」の中に突っ込んで行く訳がない。この初動捜査にはやはり疑問が残る。それにしても人間、七歳、エンジェルなんだな、と思う。まだ「人間になる前」、神から生を受けて地球上に現れきたばかり、無垢な、そのまんまの生物である。精神分析学者の岸田秀氏は、「人間は本能が壊れた動物である。本能に頼っては生き残れないので、本能の代わりに自我を作り、文化を持った。しかし、自我も文化も妄想にすぎない」という。七歳の大和くん、まだ本能が壊れていない動物だとすると、今回の「生還事件」、よくわかる。お父さんは今先端を行くit企業の課長さん。クルマというのはヒトが作り出した万能の移動機器。それが大自然の中に放り出された「まだ本能が壊れていない人間」に翻弄されてしまった。「本能が壊れた妄想いっぱいの人間」たちの思いもよらぬ結末になったのだ。大和くんが、まだ「本能が壊れていない人間」だったから、真夜中、自衛隊の兵舎にたどり着き、何も食べずに、6日間も永らえたのだ。

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7月 8日(金)乾坤一擲    青葉区版399号

妙な写真がある。インターネットの時代だからだろう。検索するとびっくりする情報が手に入るものなのだ。幕末の有名人が揃って記念写真を撮っている。真ん中にアメリカ人宣教師・ソルベッキ親子、二人を中心に総勢46人。慶応元年正月、上野彦馬写真スタジオで撮ったのだという。勝海舟がいて坂本竜馬、高杉晋作、横井小楠、中岡慎太郎、似てるといえば似てる。上の真ん中に左半身の西郷隆盛がいる。どうもこれが現存する肖像画とはまるで違う。これでこの写真の信憑性がなくなった。最初、大掛かりないたずら写真だと勝手に片付けてしまった。幕末の外国人は、グラバー、トーマス・サトウは知っているが、フルベッキなる人物は知らない。それにしても奇妙な写真だ。どうしてこの写真に行き着いたのかというと、皇居にある楠木正成の銅像に出会ったからだった。天皇家は北朝と南朝に分裂している。歴史ではそう教わった。南朝の後醍醐天皇は滅びる。その忠臣が楠木正成。それが何故、ここに?という疑問が出発点だった。明治天皇はずっと続いて来た北朝の血筋でなければならない。ところが「事実は小説より奇なり」である。その不思議なソルベッキ群像写真の下の段、真ん中に大室寅之祐という若者がいる。歴史上は無名である。この少年こそ明治天皇なのだとこの写真は語っているのだ。南朝の後醍醐天皇の末裔である。長州の田布施というところに脈々と続いた大室家である。これを徳川を倒して王政復古、を密かに企み、思想化し、行動したのが吉田松陰なのだ。高杉晋作が引き継ぎ、桂小五郎、伊藤俊輔、が実践する。その南朝の天皇をカムバックさせるという密約で、薩摩が同意する。西郷隆盛の号である南洲、これは自分も南朝の忠臣菊池一族の末裔だったからだった。ソルベッキの写真に写っていた西郷隆盛の写真はどうも本物のようで、目が大きく、達磨さんのような、あの肖像画はデフォルメされたまったく違う「西郷さん」なのだ。上野に建った銅像を見た隆盛の身内は、「こりゃー、ぜんぜん似とらん」と言ったそうだ。明治天皇は、孝明天皇の子、睦仁親王ではない。歴史の裏の裏、奥は深い。明治維新の謎。ソルベッキの群像写真、このヒントで、あの辺の時代のいきさつがよくわかってきた。

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8月19日(金)乾坤一擲    青葉区版400号

イチローがコロラドのロッキー山脈の下で大リーグ通算3000本安打を達成した。8月7日だった。世界のスポーツはリオ五輪に沸いている。そこにポツンと野球のニュースである。3000本目は三塁打。いつものように何でもないような顔をして三塁に滑り込んだ。一陣の涼風のごとき爽やかさである。日本のプロ野球の選手が本場のアメリカに乗り込んで16年間で成し遂げた記録である。大リーグでは30番目。日米通算では世界記録のピートローズの4256本をつい最近抜いている。3000本安打は日本ではあの、「喝!」、の張本勲が22年で3085本打って、ただ一人。世界の王、ワンちゃんでさえ、21年かけて2786本である。日本での栄光をあえて捨てて、イチローは渡米して大リーグに挑戦する。27歳だった。鈴木一朗、1991年、愛工大名電からドラフト4位でオリックスに入団している。監督は巨人V9時代の名二塁手、土井正三である。鈴木一朗の「振り子打法」を認めなかった。当時は打撃はダウンスイングである。打撃コーチだった、「打撃の職人」、「シュート打ちの名人」、山内一弘もイチローの「振り子打法」を評価しなかった。二軍暮らしが続く。1994年、そこに、元西鉄ライオンズ二塁手、仰木彬が監督として招かれる。おおらかな人柄で鈴木一朗を見てすぐに一軍に使った。「振り子打法」でもいいではないか。登録名も「イチロー」である。するとその年、130試合に出場して、210本安打、打率3割8分5厘、首位打者となり、最高殊勲選手に選ばれている。人の出会いというものは不思議なものである。仰木彬がオリックスの監督としてやってこなかったら今のイチローがあったかどうか。こんなエピソードがある。その頃のオールスター戦、パリーグの監督仰木彬、セは野村克也である。バッター松井秀喜、その時、仰木彬は外野からイチローを呼んで、「ピッチャー、イチロー」と告げた。仰木彬の粋な演出だ。すると、のっそりと野村克也、ベンチを出ると、「代打、高津臣吾」。高津はピッチャーである。野村克也は松井秀喜の立場を配慮し、それに乗らなかった。その時の両監督の采配は話題を呼んだものだった。そういうなんのこだわりのない、仰木彬のその人柄が、イチローの才能を開花させたと言えるのではないか。

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9月 9日(金)乾坤一擲    青葉区版401号

日本のプロ野球ペナントレースはいよいよ大詰めである。パはソフトバンクと日本ハムが0.5ゲーム差で首位を争い、セは今年好調、「神ってる」、広島カープが独走。マジック点灯、3となった。25年ぶりの優勝目前だ。あれは1991年、山本浩二監督だった。その年リーグ優勝はしたが日本シリーズで西武に敗れている。リオ五輪で日本中の目は地球の裏側ブラジルに集まっていたが、広島はそれどころではなかった。大勢の市民が球場に足を運んだ。「神ってる」というのは若者ことばで「神がかり」を縮めたもの。2試合連続のホームランを打った鈴木誠也選手に、緒方監督が思わず「あれは神ってるね」と語った言葉が突如として流行りだした。それが広島カープの快進撃の表現にもなっている。今年の流行語大賞は間違いないだろう。ペナントレースの終盤、日本中がプロ野球の行方に注目する。「野球とソフトボール」が2020年の東京五輪の競技種目に採用された。日本にメダルの可能性が大きい種目なのでこれには期待がかかる。面白い言葉で、日本ではベースボールとは言わないで野球と言い、ソフトボールの日本語訳はない。サッカーには「蹴球」という日本語があるがほとんど使われない。アメリカで育ったベースボールは1871年にメジャーリーグが発祥した。そのころ日本は江戸から明治になったばかり。東京の高等学校に集まってきた若者たちの間でこのベースボールが流行りだした。アメリカから派遣された英語講師が教えたのだ。その中にあの俳人、正岡子規がいた。結核で倒れるまでこのスポーツに熱中した。捕手だったという。正岡子規の幼名は「升(のぼる)」。そこで野(の)球(ぼーる)という雅号を作った。この辺のことから、ベースボールを野球と訳したのは正岡子規だと巷間伝わってるが、正式には第一高等学校の野球部、中馬庚という説が正しいようだ。「久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも」。「若草や 子供集まりて 鞠を打つ」。正岡子規は野球に関連する和歌・俳句を数々のこしている。平成14年、野球殿堂入りを果たした。

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10月14日(金)乾坤一擲    青葉区版402号

NHK大河ドラマ「真田丸」が面白い。三谷幸喜の脚本もいいが堺正人、草薙正雄など、配役陣の演技が冴える。真田幸村という武将は敗戦後の日本中のこどもたちの英雄だった。テレビのない時代、あれは漫画だったんだろう。家来の「真田十勇士」たちの名前はみんな知っていた。中でも忍者には憧れた。あの頃の男の子の遊びは「チャンバラ」。山から木を切ってきて、刀に模して原っぱで戦う。メチャメチャな動きだから収拾がつかない。この辺で猿飛佐助のように「ドローン」と消えるといいのだが、と真剣に忍者に憧れたものだった。その「真田十勇士」は、徳川家康から太閤秀吉の子息・秀頼を守るために大阪城に結集する武将たちの中に登場する。あの頃は、ここから真田幸村たちのドラマが始まったのである。子供たちの間では徳川家康は「悪モノ」だった。その「悪モノ」に果敢に挑む大阪城の豊臣恩顧の武将たちは大人気だったのだ。敗戦後の日本。小欄の故郷・熊本は壊滅的な空襲を受けていない。食うものにもさほど不自由はない。この前の戦争でアメリカに負けたが、次は勝つぞ、とチャンバラゴッコの最中、よく言ってたものだった。大阪城に立てこもる真田幸村、後藤又兵衛たちは日本で、老獪な徳川家康はアメリカだったのだ。ところが、今、そのアメリカで日本のことで一番人気があるのが「ニンジャ」なのだそうだ。日本人を見ると、すぐに「今も日本にはニンジャはいるのか」。これには「いやー、そんなのもうどこにもいませんよ」と言ってはいけない。彼らの夢は壊せない。「そうですねー。少なくなりましたね」と答えるのがベストアンサー。あの黒装束のニンジャの衣装が気に入られてる。サムライの履く袴はダサイという。トム・クルーズの映画「ラストサムライ」にはこれはどうしてもといってニンジャのシーンを押し込んでいる。忍者の起源は、聖徳太子の側近、「志能備(しのび)」である。俳人松尾芭蕉は甲賀の出身。奥の細道の一日歩いた距離、これは忍者並の健脚を証明する。探検家、間宮林蔵も忍者で誰かの命を受けて日本中を探索した。忍者、乱破、素破は日本の歴史のあちこちにうごめいている。

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11月11日(金)乾坤一擲    青葉区版403号

いよいよアメリカの大統領が決まる。開票直前に書いている。どちらかというとクリントンだろう。政治的未知数のトランプより、経験も豊富、夫が前大統領でもある安定感のあるヒラリーを、アメリカの国民は支持するだろうと、予測する。それにしても長い選挙戦だった。2015年4月、クリントンが出馬を表明する。続いて6月、共和党から、予想外、トランプという政治的素人の実業家が名乗り出た。泡沫で、すぐ消えてしまうと思っていたが、どっこい、なかなかしぶとい。数々の失言、スキャンダル発覚、こういう逆境を平然と乗り越えて行く。「アメリカを再び偉大にしよう」、既存の政治家にない、力強さ、こういうものが、貧困に喘ぐ層をグイグイとひきつける。アメリカの大統領選挙の特異さはその選挙戦の長さにあり、その間、国中がどちらを選ぶか、という論戦の中に入ってしまうことだろう。日本では考えられない。戦後、日本人はアメリカから民主主義という言葉を投げかけられた。混乱したのは教育の現場だった。話し合いで決めていく。こうしなさい、はないという。これで悩んで教師という職を離れていった人たちがたくさんいた。民主主義というのはどういうものか。これはこのアメリカ大統領選挙のシステムを通してよくわかる。2年もかけて、誰を選ぶか、国中を議論の渦に巻き込んでしまう。日本のように選挙カーで候補者の名前を連呼することはしない。支持者たちが個別訪問してお願いをする。そこでどうしてこの候補がいいか、議論をしていく訳だ。これはもうアメリカの国の成り立ちから来ている。州が50もあり、それぞれ独立した国のような形を取る。民族的に多様、多文化。50の州のうち二つは、アラスカとハワイ。北はカナダを越えた所にあり、南は太平洋の彼方という、飛び地にある。独立したのが1776年、日本は徳川10代将軍、家治の時代である。アメリカをどうするか、国中が燃え上がる大統領選挙にはこういう背景がる。11月の第2火曜日を投票日にしたのは、日曜日は教会へ、月曜日は、投票所への馬車での移動日。火曜日、スーパーチュウズデイに投票となるわけだ。

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12月 9日(金)乾坤一擲    青葉区版404号


「よっ、大統領!」、という掛け声、最初、歌舞伎役者の二代目・市川左団次に、掛けられたもののだという。昭和の初期のこと。この歌舞伎役者、アメリカに留学したりロシアに歌舞伎を紹介したりしていた。そういう印象から、舞台に登場すると、大向こうから、「よっ、大統領!」と声がかかった。語源は幕末、ペリーが開国を迫って、浦賀に出現した時にさかのぼる。米国大統領の親書を携えていた。「Presidennt」、をどう訳すか問題になった。国王?一般人から選出された米国首長を、国王とは呼べないだろう、一部からクレームがついた。それじゃー、庶民風の「棟梁だ」、ということになった。ところが、日本で言う「棟梁」のような身分の人間が、将軍に対して書簡を送るということが、今度は問題になる。そこで「棟梁」の文字を「統領」として幾分偉い身分にし、将軍の地位と釣り合いが取れるように大の文字を冠したと言われている ◆今年はこの「大統領」の話題満載だった。フィリピンでロナルド・ドゥテルテ大統領が、6月30日、誕生。「麻薬犯罪者は殺していい。国連はクソ野郎…」と叫ぶ。中国の習近平と会った時、ズボンのポケットに手を突っ込んで、ガムを噛んでいた。アメリカでは大統領選挙の真っ最中。共和党の候補の、ドナルド・トランプが話題を呼んでいた。メキシコとの国境に壁を作って移民を締め出し、イスラム教徒の入国も禁じると過激発言。日本は、沖縄の駐留経費をもっと出せ、さもなくば米軍を撤退させる。世界中のメディアは、米国民はこんな人物は選択しない、アメリカ史上初の女性大統領を選ぶだろうと、言動に批判的だった。ところがおおかたの予想を裏切って、ドナルド・トランプが第45代アメリカ大統領に選ばれたのだ。フィリピンでは、「俺に似ている。歓迎する」とドゥテルテが発言する ◆もう一人、話題の大統領が隣国・韓国にいる。内部資料流出。朴槿恵大統領の長年の友人との不透明な関係。追求され、大規模のデモ。国内大混乱。ついに任期中の辞任に追い込まれる ◆日本は英国の議会制度を取り入れたのは正しかった。安定した国土があるのは、天皇の存在だろう。この日本独自の仕組み。昨今の国際情勢をみながら、これは守って行かなければならないな、とつくづくそう思うようになった。

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