社論・乾坤一擲管理
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1月 9日(金)乾坤一擲    青葉区版381号

 暮に伊豆の下田に行った。日本で最初の開港地である。前に通過したことがある。その頃道路は混んでいた。クルマを止める余裕はない。今回、道路も整備され、アッという間に下田の港に着いた。マップで見た「ペリーロード」に向かい、無料駐車場に入れた。ペリー提督の銅像を見ながら、街を歩き出す。「吉田松陰拘禁の跡」。あれ!吉田松陰が密航を企てたのは浦賀ではなかったのか?「泰平のねむりをさます上喜撰、たった四はいで夜も眠れず」。アメリカの艦隊が突如四隻やってきて開国を迫った。これで日本中大さわぎになった。吉田松陰はてっきりここからアメリカに密航しようとしたと思っていた。この時は引き返して翌年ペリーは七隻で下田にやって来たのだ。そこに松陰は小さな舟で近づき、「アメリカに連れって欲しい」とペリーに直訴したが断られる。松陰は下田奉行所に自首する。1854年3月31日のことである。ひっ捕らえられた所が「拘禁の跡」地である。幕府は長州・萩にて幽閉を命ずる。そこで松陰は「松下村塾」を開き人材を育成し始める。吉田松陰密航失敗の三年後、玉泉寺に領事館か置かれタウゼンドハリスが第一代の総領事になる。ハリスは病弱で奉行所に看護婦(ナース)を依頼した。看護婦などその当時日本にはいない。困った代官は下田で一番人気の芸者お吉に依頼した。これが映画や芝居の「唐人お吉」である。唐人というのは外国人に卑しい日本人の蔑称である。こういう話にはあまり興味はなく、娼婦としてハリスに提供された。その辺のオーバーな逸話の脚色だとばかり思っていた。ところが宝福寺の資料館で事実を知った。ハリスのお世話は3ヶ月。献身的に看護など身の回りの世話をした。支度金などで急に羽振りがよくなったので、村人の妬みが始まる。耐え切れずお吉は自殺してしまうのだ。これが「唐人お吉」だと初めて知った。ハリスは厳粛なクリスチャン。お吉をそういう目で見ていなかったようである。その宝福寺の前には坂本竜馬の大きな像。「坂本竜馬飛翔の地」とある。脱藩を藩主・山内容堂から許される。間に勝海舟が入る。その歴史的な場所が下田だったというのもここに来てわかったことだった。ペリーが艦隊七隻を率いて下田にやってきて七年。安政七年三月三日、桜田門外で老中井伊直弼が水戸藩士らに暗殺される。日本中が大騒ぎとなり。王政復古。明治維新を迎える。たまたま伊豆の下田にやって来て別の方向からその時代の日本を覗くことになった。何かが大きくなっていく過程で人間は小さくなっていくのが都市人間の宿命だ。なるほど当時の日本人は大きい。。僅かな時間の下田滞在で、こういうことを感じたのは、今回の大きな収穫だった。

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2月13日(金)乾坤一擲    青葉区版382号

  大学時代の50年前にイラン行っている。大学紛争の真っ盛り。アメリカはベトナムにふりまわされている。中国とソ連は同じ共産党独裁国ありながら国境付近で紛争だ。そういう空気の中で、学園はヘルメットにゲバ棒がまかり通っていた。世界ではスチューデントパワーという現象が現われていた。学校閉鎖。授業がない。それならばと仲間たちとイランの山に登ることにしたのだ。横浜港からバイカル号という船に乗ってナホトカへ。そこからシベリア鉄道を利用してモスクワ。乗り換えて、イランのテヘランへ鉄道で入るのだ。この行路はソ連崩壊ともに消えてしまったが、ヨーロッパ方面への格安旅行コースとして人気だった。1ドル360円。外貨持ち出し500ドル、18万円である。モスクワもイランの首都テヘランも素朴な街並で、スーパーには大勢の人が列を作っていた。日本人と見ると人懐っこく寄ってきた。持って行ったマッチを渡すと大喜びだった。どちらの国も日用品が不足していた。最近のマスコミの報道は連日「イスラム国」の日本人人質事件を取り上げている。事態の進展に、あれよあれよと展開をみつめるばかり。二人の日本人は殺されてしまった。救えなかった政府の責任、後藤さんの行動は「蛮勇」、鵜川さんは民間軍事会社の社員で勝手に行って拘束されたのだから自業自得だ、などとテレビやネットではさまざまな意見で侃々愕々。イスラム国と聞くとあの50年前のシベリア鉄道経由でイランへ行きテヘランの街を歩いたことを思い出す。四方を砂漠に囲まれ、穏やかだが逞しさをたたえていた人々の表情が浮んでくる。中国の無門関という本の中に「非風非幡(ひふうひはん)」という言葉がある。二人の若い僧が幡が揺れているのを見て論争する。一人は「それは幡が動いているのだ」、もう一人は「いや風が動いてるんだ」とお互い譲らない。そこに高僧がやって来て、「お前たちの心が動くのだ」と説法した。ところが正解は「心」ではない。「ありのまま」、「見たとおり」、これが答えだという。論争などにならない。天が動く、地が動く、どちらかでない。天道説、地道説、どちらの説が正しいかなどどうでもいい。朝、日が昇るのを拝み、夕方、日が沈むのを拝む。見たとおりを素直に受けとめて、何も考えない。これが自然の理だというのだ。そうするとイスラム国の二人の日本人の行動もそのまま受けとめ、どちらが正しい間違いだと決めつけるのは答えではない。

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3月13日(金)乾坤一擲    青葉区版383号
 
このところ大相撲が面白くなった。八百長事件で入場者ががっくり減ってしまった時があった。館内はガラガラ。どうなるかと思ったが復活した。遠藤に続いて逸ノ城というモンゴルの若者が登場した。入幕して二場所目に関脇。勝っても館内は沸かないが、負けるとどーっと来る。無表情でふてぶてしい面構え。プロレスの悪役のイメージだ。初場所は連日満員御礼の札がかかっていた。小紙の少年時代は相撲をとるのが遊びの中心。集まるとすぐ相撲になった。学校には土俵があった。同時に野球も流行った。中継はラジオ。映画館に行くとニュース映画があった。ずっと前の川上哲治選手のホームランシーンを見て興奮した。大相撲の15日間の対戦をまとめた記録映画もあった。対戦しているシーンが学校で話題になった。相撲には栃若時代があって、野球はON時代である。情報量は少なかったがどういう訳か胸がときめいたものだった。今はテレビの技術の進歩とインターネットの拡大でスポーツが多様化した。サッカーの試合のシーンがテレビで演出される。シュートの場面が圧巻だ。外国のリーグに参加している日本人選手をリアルタイムで茶の間で見ることが出来る。時代の進化に驚く。サッカーがこれだけ人気を集めるとは予想もしなかった。さらに今度はラグビーだ。2019年に日本でワールドカップだという。開催される10会場が決定し大騒ぎとなった。野球も負けてはいない。11月の国際大会に向けて小久保ジャパンは始動開始。日本のプロ野球も3月28日開幕する。野球も巨人一辺倒だったファン層が変った。宮崎キャンプでは松坂が入団したソフトバンクに巨人を凌ぐ観客が集まり、広島には「カープ女子」が集結。プロ野球は球場でじっくりと見たいのだが、まわりの応援がうるさい。ドーム球場だったから余計にそう感じた。テレビで観ていても9回までの時間が長い。最初ちょっと観て、翌日ネットで結果をみる。これはもう歳のせいかも知れない。そこで相撲が面白くなったのだろう。一瞬の勝負だからだ。仕切りから制限時間が来て、勝敗がすぐ決まる。最近のテレビ受像機はよく出来ていて2週間分保存される。結果を伏せて、家に帰って食事をしながら一時間ぐらい前の相撲を観る。今やってるように観ることが出来るのだからこれはいい。時代とともにスポーツ観戦方法は変るもののようだ。

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4月17日(金)乾坤一擲    青葉区版384号

 NHKの番組を何気なく見ていたら、日本で活動しているアメリカの若い歌手を紹介していた。それも日本の歌を日本語で上手に歌い、自分のライブで綺麗な日本語を使う。大変な人気なのだという。ニコラス・エドワード君、23歳。高校生の時日本語に魅せられた。日本語のスピーチコンテストで優勝し日本にやってくる。日本語の本格的な訓練が始まった。歌手も目指していた。歌は日本の歌を勉強する。スタジオに登場すると、何とスラリとした美男子なのだ。ライブの録画が出る。おっかけは中年のご婦人たち。ステージが終わるとそのお礼のご挨拶がこの方々をしびれさす。「本日はお足元の悪いなかお越しいただきましてありがとうございました」と自然に言葉が出る。こういう日本語がタイミングよく出てくるのだ。あらためて綺麗な日本語を素直に使うアメリカの若者に感心する。「マジかよ」「うぜえ」「やばい」「ヤベエ」「キモイ」など簡略化された瞬時に表現する言葉が日本の若者達の間では主流。さらにITの世界ではそんな尊敬語、謙譲語、丁寧語を使ってメールなどしない。綺麗な日本語は、われわれのような戦中・戦後生まれの世代でも日常そんなに使わない。北陸新幹線で東京から金沢まで3時間の時代である。高速道路の整備が進んだ。圏央道やさがみ縦貫道を使うと、さいたま市を出て江ノ島で白魚料理を食べてゆっくりして帰ることが出来る。情報の収集手段だった旅の移動スタイルが変ってしまったのだ。言葉を使う手段も変遷する。その旅の移動に便利な車に乗って伊豆の修善寺に行って来た。ここも道路の整備が進みあまり混まなくなっている。文豪・夏目漱石とのかかわりも有名だが、鎌倉幕府の源頼朝の一家の悲劇の地として重々しい歴史のあるところだ。富士の裾野での曽我兄弟の仇討ち事件は頼朝の鷹狩りの最中だった。頼朝が暗殺されたようだという情報が流れた。それを弟の範頼が政子にうっかり「あなたには私がついている。心配しないでいい」と言ってしまった。帰って来た頼朝はそれを聞いて激怒。修善寺に幽閉し自刃させる。二代目の頼家は父亡き後、母の実家北条家との騒動に巻き込まれこの修善寺に幽閉され殺される。23歳だった。源頼朝をめぐる歴史の大舞台の一部がこの小さな温泉郷・修善寺で展開されているのだ。当時の人たちが鎌倉からどういう手段でこの地にやって来たのか。情報がもたらされるのは人から人へ。自分が得た情報が果たして正確なものか。貴重な情報は人の心を読むということだった。今は情報が一瞬にして広範囲に広がる。ある面便利だが人間の存在は小さくなる。エドワード君の丁寧な日本語は高度情報化時代の日本人にチクリと警鐘を鳴らしている。信州大学の入学式で、「あなたはスマホやめますか?信州大学やめますか?」という総長の問いかけも話題になった。戦後70年、じっくりとここで日本人を見直す機会が来たようである。

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5月15日(金)乾坤一擲    青葉区版385号

 今年はベイスターズは相当のところまで行くだろう、と春先予想した。3番梶谷、4番筒香のクリンアップが好調なのだ。小紙は昭和47年に青葉台に引っ越して「浜っ子」に仲間入り。「江戸っ子」は三代住み続けなければならないが、横浜に三日住めば「浜っ子」というそうだ。正直なところそれはどうでもよかった。野球は、横浜に住むようになっても贔屓は巨人。そのころ横浜には球団はない。川崎に大洋ホエールズという球団があった。捕鯨が盛んだったころ、大洋漁業という会社がオーナーで、いつもセ・リーグの下の方にいた。一度この球団が「三原マジック」でセ・リーグで巨人を破り、パの大毎オリオンズを撃破し日本一になったことがあった。昭和35年(1960年)のことだ。この球団が横浜にやってきて、横浜大洋ホエールズという名前に変わった。昭和53年である。当時、巨人の人気は群を抜いていて、V9達成いた後、長嶋が川上からバトンを引き継いで、話題を集めていた。ベイスターズの監督中畑清はその頃、長嶋監督の強い希望でドラフト外で巨人に入団している。選手としては特段優れていたわけではない。ところが根っから明るくて人をひきつける魅力があったらしい。長嶋の後の藤田監督は「キヨシ、お前がいてくれるだけで心強いんだ」と不振で悩みベンチ入りを辞退する中畑を自分の近くにいつも置いていたという。「中畑の人をひきつける力はすごい。いつの間にか、年上も年下も関係なく、人の中にスーッと入り込んで心をつかむ。求心力といううか、チームひとつにまとまる。キヨシ独特のものだね」(産経新聞・5月13日号)巨人の最近のぶざまな戦いぶりにはあきれ返っている。鳴り物入りで補強した外人、フランシスコ。守備はメチャメチャ。ついにGMが交代となった。この球団はまだ清武騒動が尾を引いてるようだ。中畑監督就任4年目、こちらにはデーンと後ろに心強いGMがいる。巨人時代の先輩高田茂がそのGMだというところにベイスターズ快進撃の秘密があるようだ。いよいよ中畑清のその優れた人間的魅力が開花するか。楽しみなシーズンである。

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6月12日(金)乾坤一擲    青葉区版386号

地球が狭くなった。最近、急に、である。安倍さんは、「早く質問しろよ!」と、ヤジって、国会を紛糾させた。そういうニュースが流れた。間もなく、安倍さん、ドイツのミュンヘンで、ニコニコしながら、G7の世界の首脳たちと記念写真、これを家族写真というのだそうだが、におさまる。すると、ニュースは国会周辺で記者団に囲まれている安倍さん。いつ帰ったんだろう。ひと昔のあの頃、首相の外遊は飛行機に乗り込むシーンから帰国のお迎えまでのセレモニーがあったのだ。ところが政府専用機、いつの間にか飛んでいる。映像も早い。会議の様子がネットで流れる。スポーツも、全仏の錦織圭、イチローのヒット、なでしこジャパン、まずスイスを1ー0で破る。茶の間で、あらゆる情報がリアルタイムで手に入る。医術の進歩も目を見張る。NHKのニュースだったか、15年も手の震えが止まらない人、脳の障害のようだ。これをスキャンで内部を写しながら患部を処置。それが成功する。早速、うどん屋に行って、讃岐うどん。これが夢だったと、大喜び。2045年問題、というのが話題になっている。2000年問題というのがあった。西暦が2000年になると、年数の表現が下2桁でとらえられていたので、2000年は1900年になるということだった。さほど騒ぎにはならなかった。ところがこの2045年問題というのは、30年後にはコンピューターの能力が人間の能力を超えてしまうという、人類が経験したことのない事態が訪れるというのだ。これまでの、今、その進化に驚いているのに、30年先、さらに凄いことになっている。未来を予測してしまうというのだから、何もしなくていい。生きていく道筋が出来ていく。平均寿命も100歳を超える。エエッと思う。コンピューターが進化する。人は楽になる。ただ、待てよ。こういう世界を人類は追い続けて来たのだろうか。2045年問題の前に、もう一度立ち止まって、考えてみる必要があるような気がする。

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7月10日(金)乾坤一擲    青葉区版387号

 今回も、なでしこジャパンが日本中を沸かせた。サッカーで日本女性がこんなに活躍するとは誰も予想しない。日本では女の子、手毬つきで遊び、蹴るなどとはとんでもないことだった。それがあの2011年、東日本大震災の年のワールドカップで世界に躍り出て、日本中が驚いた。震災への支援に感謝する応援の横断幕に、世界中が注目した。不自由な被災地で暮らす人たちにも勇気を与えた。「なでしこジャパン」という愛称も「大和撫子」の大和をジャパンに変えたもの。日本サッカー協会のシンボルは「やたがらす(漢字)」。サッカーが世界で優勝するのは男女を通じて初めてだった。震災復興へのモチベーションは、なでしこジャパンによって高まったのだ。今年も決勝はアメリカと日本。ベースボールが国民的スポーツの両国である。それがサッカー女子の世界一を争う。野球王国アメリカやキューバでも、野球離れが始まってるのだそうだ。決勝戦は、前回の雪辱を期すアメリカの鋭い攻撃で前半に圧倒。5|2で優勝を逸した。あれはもう体力だ。両国選手が並ぶと、小学生と大人。学生時代、国立競技場の警備のアルバイトしたことがある。1967年、大学生のオリンピックといわれる、ユニバーシアードの時だった。入場行進前、通路で行進を待っている目の前の各国の女子選手たちの大きさに圧倒された。こんなに大きいのか。あれが突進してくる。それに平気で挑む。なでしこジャパンの選手たちの精神力だ。彼女達のプレイには、「心・技・体」の心がほとんどを占める。それは佐々木則夫監督の力によるものだ。有名な「親父ギャグ」。これで彼女達は一瞬ひとつになる。まとまるのだ。準々決勝、岩淵真奈のゴールで勝った。記者会見、「マナかな、マナーかなと思ってずーっと待ってたんですけど、やっと決めてくれました」。日本人記者はどっと笑ったが、外人たちはキョトンとしている。通訳たちが説明すると、あちこちで大きな笑いが起きた。この佐々木則夫監督の選手操縦の能力を思うと、日本男子の監督はどうして外人でなければならないのか、さっぱりわからない。

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8月 7日(金)乾坤一擲    青葉区版388号

 今年、2015年は、大きな節目だ。第2次世界大戦の、終結、敗戦、あれから70年となる。1945年8月15日、玉音放送、「万世の為、太平を開かんと欲す」。日本の敗戦を国民に知らせた、天皇の生の声だった。国民には苦難の道が始まる。高校野球も、今年が100年目だという。夏の甲子園、である。始まったのが1915年、大正4年。全国中学校優勝野球大会といった。大正天皇の即位の大礼があり、「亀の子たわし」が考案され、割烹着が流行した。そういう年だった。戦争に突入した1941年から1946年までの6回の大会はさすがに開催されてない。敵国、アメリカ原産のスポーツを、軍部はあまりやらせたくない。英語を使わないという条件で許された。審判は、プレイボールとは言わない、「試合始め!」。ストライクは「よし!一本」。ファウルは「だめ」、アウトは「ひけ」という訳だ。グラブは、そのものずばり「手袋」である。それが一転、学制改革で1947年、新制高校と変わると、高校野球の隆盛が始まる。徳川幕府の幕藩体制は藩どうしの競争だった。競わせたのだ。それが徳川の繁栄につながった。その歴史がそっくり高校野球に当てはまる。うちの村の「あんちゃん」が県の代表校で甲子園だ、それーっと、地域がこぞって応援する。郷土愛が生まれ、日本がひとつになる。敗戦後の奇跡的な繁栄と高校野球の隆盛は切っても切れない関係なのだ。100回の記念大会には、第一回大会の優勝校、京都二中の系列校、鳥羽高校が出場し、始球式は王貞治さん。第29回大会の優勝投手でもある。その母校の早稲田実業も甲子園を決めた。1年生スラッガー、清宮幸太郎くん、予選から大フィーバー。100周年記念大会の目玉といっていい。注目が集まっている。

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9月11日(金)乾坤一擲    青葉区版389号

 9月に入ると雲行きが一変した。猛暑か涼秋に変わったのだ。もともとこのあたりは、二百十日、二百二十日、と言われ台風襲来の時期である。昔から天気は良くない。農家は稲の開花期、それはそれは天気には気を使ったものだった。この二百十日、二百二十日というのは、もうあまり聞かなくなって来ている。このことを知らなくとも、テレビの天気予報が、台風情報、詳しく教えてくれるからだろう。夏休みが終わり、2学期が始まると、いつも雨、それから台風。これを二百十日といい、さらに10日後に二百二十日が来るぞ、と教えられた。なぜそういうのかは知らなかった。台風のことをそういうのだろう、とぼんやりと思っていた。ところが、この数字には意味があると知ったのはずっとあとだった。立春(2月4日)から数えた日数で、「厄日」として暦に書き込まれている。これは江戸中期の暦学者の渋川春海の研究によるものである。釣りが好きな春海が港から船を出そうとすると、猟師が「よしなさい。わたしの50年の経験で、立春後から二百十日、二百二十日には必ず暴風雨が来ている」というのだ。「何をいうのだ、かまわないから出せ」、と海に出た。すると天気急変、海は大荒れ、やっとの思いで陸に戻った。なるほどそのとおりになったのだ。さっそく過去を調べてみると、猟師の言ったとおりだった。その事実を幕府に進言し、暦に「厄日」として記入することにしたのである。ちなみに、夏も近づく「八十八夜」も立春から八十八日、5月2日ごろのことで、茶摘みの最盛期となる。八十八は分解すると「米」という字。田植えの準備は出来たか、始めていいぞ、という知らせでもある。こういう話は、日本の風土と関連して、生活の知恵としての情報、語り継いで行きたいものだ、と9月9日、台風18号上陸のニュースを聞きながらそう思った。

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10月 9日(金)乾坤一擲    青葉区版390号

プロ野球も、今シーズンほぼ一段落。両リーグとも、上位3チームが出揃った。ただ、セ・リーグは3位が阪神か広島か、最終戦まで持ち越された。地元ベイスターズ、春先の快進撃に、小紙は5月15日号で、中畑清監督の采配を激賞、CS進出は間違いないと予想した。ところが後半はどうしたことか勢いがなくなった。最下位である。監督も辞任。高田繁GMとの蜜月もコーチ人事での確執が明らかになった。どうも春先とは違い暗いニュースになってしまった。プロは勝つことでチームは結束する。勝てば明るくなる。ヤクルトの真中監督とベイスターズ・キヨシ監督はリーグ戦終了時に明暗を分けてしまった。そういう中、突然の巨人の選手野球賭博事件である。しかも、「選手は球界の紳士たれ」、というあの巨人軍二人の選手が暴力団の手先に乗って賭けていたのだ。借金取りが球場にやってきて発覚したのだという。福田聡志というピッチャーのところにである。これには関係者も驚いた。最近あまり出てこないがナベツネさんも青くなったのではないか。東京オリンピックの追加種目に野球が上がった直後である。4年前、当時の清武球団代表から、コンプライアンス問題で、あまり現場に口を出すなと文句をいわれたが、冷たく代表の座を追い払ってしまった。どっちもどっちだと思ったが、清武という人は離れてから次々と球団の内部を暴露している。しつっこい人物のようだ。10年前のドラフトで、今、ソフトバンクにいる松田を巨人は指名するはずだったが、直前で福田に変えた。どういう因縁か、当時の球団代表は清武さんなのだ。原監督の突然の女性スキャンダル暴露もこの人の退団のあとだった。今年、巨人はリーグ4連覇を逸した。それに野球賭博事件が、突如、表に出る。こうなると原監督の去就だ。このムード、監督交代は避けられないようである。

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11月13日(金)乾坤一擲    青葉区版391号

五郎丸歩。観戦した天皇陛下も「本名ですか?」と聞かれたそうだ。今やスポーツ界で、一番話題の、ラグビー選手である。「ごろーまるあゆむ」。名前がいい。ペナルティーキックの時の両手を揃え人差し指を合わせるポーズ。それが確実に決まる。今年の流行語大賞だろう。突然のラグビーブームである。ラグビーのW杯のイングランド大会で日本代表は、強豪・南アフリカに逆転勝ち、3勝をあげた。誰が監督?サッカーのように監督はあまり表に出てこなかった。それが、である。エディー・ジョーンズという、外国の人だということが分かった。日本ではやはり人気は野球。サッカーが猛追しているが、ラグビーはまだ足元にも及ばない。最近どうしてるかな?松尾雄治。何か賭け事で警察沙汰になりマスコミから消えたらしいが、この人が一時ラグビーを盛り上げていた。そこにエディー・ジョーンズというヘッドコーチの出現である。日本人の体格はよくなったといっても、ニュージーランド、豪州、南アフリカ、こういう国の選手とは比較にならない。ラグビーは他のスポーツに比べて接触プレーが多い。身体の小さな日本人には不利なスポーツである。2014年4月から日本代表のヘッドコーチに就任したエディー・ジョーンズは、徹底的にフィジカルから選手を鍛えた。それと実践練習とを休みなく繰り返すこと。これはどこでもやっている練習内容だが、強化練習中に不満が出るほど、中身は激烈なものだったらしい。合宿も年間130日もやった。「選手に指導するように、自分自身も指導する。選手に規律を求めるのであれば、自分自身も規律を守るべきだ」。合宿では選手がグランドに出て来る前、5時半にはエディー・ジョーンズはグランドにいた。それが世界ランキング第3位、これまで2度のW杯優勝の南アフリカを破る選手達を育てたのである。選手の鍛え方に特別なものはない。

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12月11日(金)乾坤一擲    青葉区版392号

 7日の朝、NHKのニュースを見ていたら、5年前に打ち上げられ失敗した金星探査衛星、「あかつき」が軌道に復帰できそうだ、と報じていた。金星は地球と双子星で、ほぼ同じ大きさなのだが、こちらは二酸化炭素に包まれ、気温は464℃、地球とは正反対。「あかつき」は軌道を外れ寂しく太陽を回っている。進行方向に噴射させて減速、じっと待っていて金星の軌道に乗せる、という試みだ。結果は旨く行きそうなのだが、二日後に結果は出る。その逆噴射して軌道に乗せるための、科学的な細かい計算をやったのは、若い女性研究者で、計算はコンピューターではない。紙に書き込んで、書き込んで、ついに答えを出したのだそうだ。いつの世でも、日本人というのは凄いことをやるもので、2、3日前、11月5日を国連で「世界津波の日」が採択されたというニュースが流れ、江戸時代に稲の束に火をつけて、津波から避難するよう住民たちを山の方向を導いた、浜口悟陵という人物に出会ったばかりだった。これは安政南海地震(1854年11月5日)、和歌山県有田でのことだった。その年、ペリーが下田にやってきて、吉田松陰は面会を試み、失敗。それから半年後に下田も安政南海地震による津波に襲われ壊滅している。地震が起きた後、浜口悟陵は海岸に立って海面を見ている。「これは津波だ!」と判断した浜口悟陵は、収穫されたばかりの稲の束に火を点けて、避難するよう村中に呼びかける。このあたりのことは、小泉八雲が、人づてに浜口悟陵の活躍を知り、「a living god」という英文の記録を残している。この奇妙な日本人・小泉八雲の存在も面白い。浜口悟陵の津波避難誘導作戦は、「稲むらの火」として、1937年から10年間、国定教科書に掲載されていたのだそうだ。このことはこれまであまり知られていない。小紙もこの教科書のことまったく知らなかった。2011年3月11日、あの東日本大震災のあとになって、ようやく、11月5日、「稲むらの火」、は「津波防災の日」としてクローズアップされたのである。つい先日、さらに「世界津波の日」の国連採択である。ようやく浜口悟陵の偉業に世界中が目を向け、地震・津波へ、普段からの備え、覚悟、「稲むらの火」は決して忘れてはならない、と大きな動きになてきたのである。

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