社論・乾坤一擲管理
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1月10日(金)乾坤一擲    青葉区版369号/都筑区版188号

今年は甲午(きのえねうま)。大胆に物事がすすむ年なんだそうだ。2月にはハプニングの東京都知事選。暮から正月、各党候補者選びでテンヤワンヤ。誰が出る、出ないと騒がしい。小紙のお正月は、以前、暮の紅白歌合戦をみながら除夜の鐘の中継を聴くというスタイルをとっていたが、このところずっと見ていない。面白くなくなったからだ。映像は高度化しているが、若い知らない歌い手やグループばかり。司会はどういう基準で選ばれるのか若いタレント陣。合戦となるとやはり司会者の当意即妙の話術がいる。これが面白いのだが若い司会者には味がない。紅白歌合戦の歴史は第一回が1951年(昭和26年)。ラジオ放送である。テレビが始まったのが第4回。司会は紅組は水の江滝子、白組は高橋圭三。絶妙の司会ぶりで視聴者を沸かせていた。視聴率を取るということになったのが第13回。1963年、オリンピックの前年である。司会は森光子と宮田輝。視聴率は80%という驚異的なものだった。今回はそれでも44%。これだけあるんだが最盛期の半分。第4回の初放映のときは、VTRの技術はない。映像は何も残ってない。もちろん白黒。紅白歌合戦はそれまで正月番組だった。テレビ放送のために会場を探したが、どにもない。大晦日だけ有楽町の日劇が空いていた。この年から大晦日に定着したというエピソードがある。大河ドラマが始まったのは1963年。井伊直弼をモデルにした「花の生涯」である。今年は53作目。「軍師官兵衛」。黒田如水の生涯を描く。黒田家は福岡黒田藩代々の藩主をつとめている。官兵衛はその礎を築いた人物で、岡田准一が演じている。アイドルグループV6のメンバーである。1作目の主役は歌舞伎の尾上松録。翌年の第2作目が映画俳優長谷川一夫の「赤穂浪士」である。この2作目ドラマは、東京オリンピック開催の年でもあり、今までの映画忠臣蔵の展開とは違い、1年かけてじっくりと四十七士たちの細かい心理描写が新鮮だった。鼻にかかった長谷川一夫のセリフ「おのおのがた」はみんなが真似をした。そのテーマ曲は「忠臣蔵」の曲として一般化した。討ち入りの時の視聴率は53%。この2作目から「大河小説」という言葉を借用して「大河ドラマ」と言うようになった。年末の紅白歌合戦は時代とともに大きく変化して来ている。「大河ドラマ」は映像技術の重厚さが加味し、時代をリアルに描写している。これまでもそうであったように歌は生きもの。今の空気を養分として進化するものなのだ。テレビの映像は最新の技術で時代を超えてドラマを構成する。良いお年を!

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2月14日(金)乾坤一擲    青葉区版370号/都筑区版189号

小野田寛郎さんが亡くなったというニュースが流れたのは1月16日だった。91歳だという。フィリピンのジャングルの中で、戦争は続いていると信じて生き残っていた。それが30年後、昭和49年、日本に帰って来たのだ。その2年前の、昭和47年、グアム島にいた元日本兵・横井庄一さんが地元の人に発見され、「はずかしながら帰ってまいりました」と羽田に降り立っている。小さな島によく生き残っていたと日本中が驚嘆した。日本は経済的には大発展の真最中。田中角栄が首相に選ばれ、田中ブームが始まっていた。「日本列島改造論」、「日中国交回復」。日本の大転換期。巷にはモノがあふれていた。グアムのジャングルに生き残った横井庄一さんは戦後の日本に適応するかどうかと注目されたが、案外あっさりと溶け込んだ。経験を生かして「生活窮乏評論家」としてあちこちに引っ張り出された。一方の小野田寛郎さんは「もう戦争は終わった」という捜索隊の呼びかけにも、「これは米軍の謀略だ」と応じなかった。そんな中ひとりでやって来た冒険家の鈴木紀夫さんと出会う。この青年の人柄にうたれ、信頼できると、帰還する方向へ気持ちを切り替える。「どうすれば日本に帰ってくるんですか?」という鈴木さんの問いに、「命令によって好きでもない戦争をやっているのだ。命令をもって来い」。翌月、谷口元少佐がやってきて「任務解除」を命じた。このあたりのこと、当時、小野田寛郎さんは「違う日本人」だと誰もが感じたが、そういう潔さと信義を重んずる古い日本人を思い浮かべ感銘した人は多かった。投降の印として軍刀をマルコス大統領に差し出した。「これは格式の高い古いサムライのような振る舞い」だったとニューヨークタイムズは評している。そういう小野田寛郎さんは横井庄一さんとは違い戦後の日本にはなじまなかった。総理からもらった見舞金100万円を靖国神社へ寄付すると、あちこちから叩かれた。作家の野坂昭如の言動に怒り狂った。週刊誌の次のような談話を見てからである。「小野田さんはいろいろ偉そうなことを言ってるけれど、偉い面もあるが、遊撃戦にしろ残置諜報者にしろ、その本分は何も果たしていない。(後略)」。即決闘を申し込んだが周囲に止められた。彼が守ろうとした国も国民も既に消え失せてしまっていた。帰国から一年も絶たないうち、絶望し長兄次兄のいるブラジルへ移住する。牧場経営を成功させ、日本に帰り、青少年のために「小野田自然塾」を開設。中国でも、「小野田寛郎さんは真の軍人だ。」「この兵士の精神は全世界が学ぶべきだ」「大和民族は恐るべき民族。同時に尊敬すべき民族」という多くの書き込みがあるという。反日的な意見が多い中これは異例である。羽田空港に降り立ったときの眼光鋭き小野田寛郎さんの顔。今でも思い起こすことができる

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3月14日(金)乾坤一擲    青葉区版371号/都筑区版190号

あれからもう3年経ったのだ。3年前、3月11日の午後2時45分をまわった頃だった。電話をしていた。突然、ビルがドンと突き上げられ2階のオフイスはものすごい揺れ。何が起きたんだろう。一瞬何だかわからない。電話の相手も道路の脇に止めたクルマの中で叫び声。「これは大変ですよ。電柱が大きく揺れています。切りますよ」。すぐにテレビのスイッチを入れると「何だ!これは…」。呆然と、この世のものと思われないシーンを見つめる。東北の太平洋側の漁港。海から押し寄せる濁流が人家を襲い、停車中のクルマを容赦なく飲み込む。「これが津波か!」。どこからか飛び立ったヘリからの現場中継なのだ。橋の上で車から降りて濁流をのぞいているトラックの運転手。「早く逃げろ!!」と思わず心の中で叫んでしまう。こんなことがあっていいのか。容赦ない自然の猛威である。平成23年3月11日、午後2時46分18秒、宮城県沖130キロメートルの大平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生したのだ。地震の規模はM9。日本周辺では観測史上最大の地震だ。死者行方不明者は18517人。16年前の阪神淡路大震災では6434人だった。このときの約3倍の被害である。さらにこの津波により福島第一原子力発電所が襲われた。電源を喪失し原子炉が冷却できなくなり、メルトダウンが発生した。すぐに水素爆発が起きた。大量の放射性物質が漏れ出す。津波が原子力事故を引き起こしたのだ。悪夢のような一瞬である。もう3年になるんだな、と当時を思い起こしながら感慨に耽る。被害にあった各自治体は復旧にむけて懸命の取り組みである。まだ県の内外に避難している人たちは戻れない。不自由な生活を強いられている。こういう状態で、暴動が起きない日本人の我慢強さに海外では賞賛の声が上がっている。さらにこの災難に遭遇してもへこたれず、被災地の皆さんを勇気付けようと、ソチの冬季オリンピック、スピードスケートで金メダルを獲得した羽生結弦選手がいる。羽生結弦選手は当時16才だった。仙台のリンクで練習していた時、地震に襲われた。スケート靴を履いたまま外に逃げた。練習場を奪われてしまったが、あちこちに出かけて練習を積んだ。苦労の中から世界の桧舞台での金メダルである。羽生結弦選手のこの快挙。どれだけ被災地に勇気と夢を与えたか。我々も一日も早い東北地方の回復を祈り続けようではないか。

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4月11日(金)乾坤一擲    青葉区版372号/都筑区版191号


今年は日本のプロ野球か誕
生して80年の年だそうである。1934年(昭和9年)に、現在の読売ジャイアツの前身である「大日本東京野球倶楽部」が発足している。まだ1チームである。何チームか結成されてリーグ戦が始まった訳ではない。アメ
リカの大リーグをまねて日
本でもプロ野球を作ろうじ
ゃないかというのである。そのころ日本では学生野球が主体だった。それが3年前にベーブルースを中心にした大リーガーがやって来た。日本は急遽チームを結成しアメリカの野球に挑むことになった。春の甲子園で活躍した京都商業の澤村栄治を引き抜いた。慶応の野球部からの勧誘を振り切っての行動だった。文部省は学生に職業野球との対戦を禁じたからである。高校を中退してしまう。それがその後の澤村の人生を狂わせてしまう。第一戦、澤村は錚々たる大リーガーたちを相手に力投する。敗戦投手にはなったが、大打者ゲーリックにホームラン一発浴びただけで、1点に抑える。日本中が澤村の快挙に酔った。2年後、昭和11年に「日本職業野球連盟」が結成されている。本来ならこれが日本のプロ野球の始まりである。ま、そのへんのいきさつはどうでもいい。澤村栄治の出現が「プロ野球」実現を加速させたのだ。去年日本のプロ野球を大いに沸かせたのは東北楽天の田中将大、マー君である。。そのマー君が大リーグでデビューする。あのニューヨークヤンキースと7年総額1億5500万ドル(162億円)という破格の契約金で合意する。日本時間4月5日、ブルーゼイズ戦に先発。7回を6安打3失点8奪三振の好投で、日米通算100勝目となる初勝利を飾る。80年前の澤村栄治。どうしてもダブらせてしまうのだ。比較するのはピッチャーとしての能力ではない。時代である。澤村は1938年から1940年、徴兵。戦地では野球選手だからといって手榴弾を投げさせられ右肩を痛める。軍隊での手榴弾遠投記録は伝説に残る。左手は戦闘中に銃撃を受け貫通。復員するとまたすぐ徴兵。これは高校中退という履歴がいけなかった。さらに野球は敵国アメリカのスポーツである。軍はそういうものを激戦地にどんどん送り込んでいる。2度目の徴兵から帰ったときは、満身創痍。もう選手としての寿命は切れてしまっていた。1944年解雇。3度目の徴兵。フィリピン沖で乗っていた輸送船が沈められて戦死。まだ27歳の若さである。これがマー君とほぼ同じ年齢だからぐっと来るのである。

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5月16日(金)乾坤一擲    青葉区版373号/都筑区版192号

小保方晴子さんの世にいうSTAP細胞捏造事件。理研は再調査しないとする記者会見を行った。あれだけセンセーショナルな発表を行ったのにである。どうもよくわからない。STAP細胞は存在するというが、それは「UFOを見た」というのと同じで、データーの写真が円盤を糸で吊るされているのを証拠と提示するようなものだ。従って「STAP細胞は存在しない」。実験ノートが不十分、論文の写真は張り合わせの不正、さらに小保方晴子さんの博士論文はコピー&ペーストのいい加減なもの。ネイチャー誌への論文は撤回せよというのだ。最初の記者会見に同席した山梨大の若山教抜、この方は直前まで理研の研究員、小保方晴子さんを指導していた、さらに笹井理研副センター長、京都大学医学部出身の俊英、あの山中伸弥教授と同世代、このお二人は満面に笑みをたたえてテレビに出演なさっていた。そういう頼もしい二人の日本人学者が論文の共同執筆者。さらにアメリカのハーバード大学のパカンティ教授が論文の代表なのだ。ところが突如笹井副センター長がテレビに登場。小保方晴子研究ユニットリーダーを見限った。理研のバッジが胸に光っていた。おぼれそうになって助けを求めているか弱い女性の手を振り払っている図ではないか。これまでの発明発見は完成された人というよりは、一風変わった人によってなされている。杓子定規でなく、常識を破った発想が新しいものを作り出すものなのだ。実験ノートに詳細を書き付けるテクニックに時間を費やすよりは正確な系統的な手順を具体化することだろう。STAP細胞に期待を寄せている重病の方々のことを忘れてはならない。ここで、ハーバードのバカンティ教授の存在が浮かび上がる。文春・6月号に立花隆さんがこのバカンティ博士と会ったことがあると書いておられる。『人間の耳を背中に生やして走り回る不気味な「耳ねずみ」のBBCのドキュメントを見て、取材に行った。』このバカンティ博士はそのことで一躍有名になったばかり。失敗しても次から次と別のとんでもないことに挑戦していく人なのだそうだ。共同執筆者にアメリカの学者が名前を連ねていることに警戒したものだった。ところが今回の小保方晴子事件の唯一の味方がこのアメリカのバカンティ博士だと知ったとき、これこそ日本の「サムライ」ではないかと恐れ入ってしまった。日本にはもう「サムライ」は存在しないのか。日本人に大きな問題を投げかけている事件である。

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6月13日(金)乾坤一擲    青葉区版374号/都筑区版193号

日曜日、6月8日、の夕方だった。クルマで帰宅中に何げなく耳に入ってきたNHのニュース。驚いた。修学旅行中の中学生が、被爆地のボランティアの語り部に「うざい、死にそこない」などの暴言はいたというのだ。旅行は5月27日だった。抗議の手紙をその中学校の校長に書いた。すぐ謝りの電話があった。このようなニュースだった。その訪れた被爆地が長崎か広島か一瞬のラジオのニュースで聞き逃した。小紙は長崎の雲仙岳が目の前に見える熊本に戦中に生まれている。もの心ついたころの映画で強烈だったのが、「原爆の子」。被爆地広島が舞台。1952年、乙羽信子主演、新藤兼人監督の作品である。カンヌ映画祭に出品することになった。政府はアメリカの対日感情を刺激することを怖れたが、審査当局の判断にゆだねた。これが「原爆許すまじ」と、世界中に大反響を巻き起こした。長崎の原爆投下の映画は「長崎の鐘」。これは藤山一郎の歌で風靡した。小紙は2才。生家の目の前の雲仙岳の上空を黒雲が覆ったと後で聞いた。その時は原子爆弾というとんでもない爆弾とはわからない。後年その阿鼻叫喚の映画に子供心に震撼したものだった。今回はそのどちらかの被災地で起きた事件だ。家に帰るとさっそく夕方のニュースを各局チェックしたがどこもやっていない。これはニュースにならないのか。ネットで調べる。すると横浜市西区の大鳥中学校の長崎への修学旅行とわかった。地元ではないか。今は中学校の修学旅行は横浜から長崎まで行くのかと驚く。語り部に「死に損ないのくそじじい!」と声を出し、周りの生徒に向かって「笑え」、「手をたたけ」とはやし立てた。その前に話を聞かないので語り部は「出て行け」と怒鳴ったのだという。それを恨みに思ってやったというが、まわりの先生は何も注意をしてない。その語り部は「被爆69年、こんな経験は初めて。戦争や原爆をひとことと思っているのか。悔しくて、悲しい」と言っている。校長から報告を受けた横浜市の教育委員会は148校もある中学校に生徒への教育の徹底と、引率のあり方への注意を喚起した。だがそれで解決なのかと思う。教育現場だけの問題ではなかろう。戦後日本を覆う暗い影が広くさらに深く覆いだしているのだ。AKB事件のニュースはテレビでは連日。それなのにこの原爆被災地修学旅行事件は表から消えようとしている。これからの日本人のあり方への警鐘を鳴らしているのにいるのにである。

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7月11日(金)乾坤一擲    青葉区版375号/都筑区版194号

6月18日だった。都議会本会議、みんなの党・塩村文夏議員の「晩婚化対策」に関する質問に、やじが飛んだ。「早く結婚した方がいいんじゃないか」、「産めないのか?」。このシーンがそのあと大騒ぎとなる。品がない。これはセクハラだとマスコミが騒ぎたてた。「私じゃないです。野次った人は早く名乗った方がいいですよ」としらを切っていた議員かテレビの前で深々と頭をさげた。この方は魚釣島近くで慰霊祭が行われたとき、海に飛び込んで島に泳ぎ着いたという人物。「女性が働きやすい社会の実現」というのが政策のひとつなのだそうだ。それが質問中の女性議員を野次る。塩村女史も、一瞬にが笑いをして質問を続けた。終わって議席では涙を流している。あの時すぐさま野次に向かってキッとにらみつけて、指を差して「黙れ!」ぐらい言っておれば展開も違っただろう。大向こうをうならせたはずだ。男であろうが女だろうが議員は議場で涙を出してはいけない。その後世界中にこの野次騒動は広がっていく。キャロライン・ケネデイアメリカ大使から慰めの手紙が届いた。議会などでの野次には品位とユーモアがなければならない。有名な野次は昭和初期の三木武吉だろう。高橋是清大蔵大臣の演説。「…陸軍は十年、海軍は八年…」。すかさず「ダルマは九年」。大臣はダルマそっくり。議場は沸きに沸いた。隔世の感ありだ。地方議員の失態は西でも起きた。政務調査費をめぐる記者の質問に、喚いたり嗚咽をももらしたり、泣き叫んでしまった野々村竜太郎兵庫県会議員。テレビで繰り返すこのシーン。海外でも大変な話題に。フィリピンでは「議員?それとも役者?」シンガポール「号泣する中年議員が日本を魅了」。このところ海外では「野次」「号泣」の中年議員の話題で持ち切り。次の世代がこうではこの先日本の行く末、気がかりではある。

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8月 8日(金)乾坤一擲    青葉区版376号/都筑区版195号

 テレビが始まったのは昭和28年である。まずNHKが開始して日本テレビが後につづいた。当時の主な番組は大相撲、プロレス、プロ野球の中継である。受像機は当時20万円から30万円もした。その頃の初任給は大卒9200円の時代で、ラーメンは35円、ピールは107円だった。テレビは夢の時代である。買えない多くの大衆は繁華街や主要な駅に設置された街頭テレビに集まった。ただまだ映画全盛のころである。ラジオドラマで超人気だった菊田一夫の「君の名は」が映画化。岸恵子と佐田啓二のコンビで大ブーム。歌舞伎界から映画界へ転向して大スターになった中村錦之助がデビューしたのもそのころ。世界のクロサワが大型時代劇「七人の侍」が封切られたのが昭和29年。石原裕次郎が「太陽の季節」で映画界に登場するのが昭和31年。当時誰も映画とテレビが逆転するとは思わなかった。ところが昭和34年4月10日、皇太子明仁親王(今上天皇)のご盛婚パレード中継を見ようとテレビ受像機が一気に売れて各家庭の茶の間に登場した。プロ野球は、王・長嶋の人気が過熱し、相撲は大鵬の出現。「巨人、大鵬、卵焼き」といわれた。力道山の空手チョップが日本中を沸かせた。テレビが情報の主役になったのだ。ところが昨今のテレビである。これはもう劣悪極まりないと言っていい。お笑いタレントの登場する番組が各局に組み込まれる。おかしくも何もない。バカバカしい。ニュースはどこも同じ。新鮮さがない。東京スカイツリーは地デジ移行に合わせて、受像を鮮明にするために建てられた。放映されているテレビの内容だ今のような劣悪なものが続く限り、見識のある、知性のある人たちは見なくなっていくだろう。

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9月12日(金)乾坤一擲    青葉区版377号 

詐話師というのだそうだ。詐欺師というのは知っているが、詐話という言葉はあまり聞いたことがなかった。32年前、吉田清治という人物が戦争をネタにひと儲けしようとたくらんだ。猟奇的な話をでっちあげて本を書いた。「私の戦争犯罪」である。済州島で「慰安婦狩り」をしたという様子が詳細に書かれている。これを政治的に利用しようとした日本の弁護士(国会議員でもある)が韓国人をけしかけて、朝日はこれにのせられた。その本の作者・吉田清司は追求されて、あれは「フィクション」だと言っている。詐話師である。。作り上げた話だった。この朝日の報道は他国で火がついてしまったこれを利用され反日気運が高まり、デタラメがどんどん先行してしまった。やっと朝日は8月4日、5日の新聞で告白した。お粗末な情報に何の検証もせず裏付けも取らず天下の大新間の醜態である。さらに何を狂ったのか池上彰氏の連載記事にクレーム。自社に不利な内容だから出せないなどと。「文春」「新潮」の広告に不利な部分を黒く塗りつぶす。少年時代、九州の我が家の新聞は「朝日新聞」だった。ある日突然「サザエさん」の連載が始まった。昭和26年だった。一家の名前が海の幸からとってある。サザエさんの旦那さまが「マスオさん」である。これはおかしかった。毎日の食卓に並んでいたものだった。日本中が貧しかった。そんな中、ほのぼのとしたサザエさん一家の明るい話題。毎朝の楽しみだった。さらに、あれは中学生の時だった。朝日の特派員・辻豊記者の「ロンドン-東京・5万キロ」という記事があった。昭和31年。まだ車は少ない。それが、ロンドンからヨーロッパ、アジアの大陸を縦断して東京までドライブするという記事だった。日本中がこの快挙に沸いた。外国への憧れが胸いっぱいに広がった。高校生のとき、酷寒の北極で、エスキモー人と暮らしてそのルポルタージュの記事を書いていた本多勝一記者。昭和34年の「カナダ・エスキモー」である。実を言うと、小紙は大学紛争の渦中を体験。そのころ、朝日から離れてしまったような気がするのだ。

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10月10日(金)乾坤一擲    青葉区版378号

 十三夜の翌日、台風18号が東に去って御嶽山の捜索が三日ぶりに再開された。9月27日の土曜日だった。紅葉を求めて大勢の登山客が御嶽山山頂にいた。11時52分、突然噴火した。ラジオは番組の途中で「御嶽山」が噴火したようです、と一報を伝える。あまり大きな噴火の様子ではなかった。その後次々と情報がとどく。この御嶽山は民謡の「木曽節」で日本中になじみのある山である。標高3067m、日本第14位の山。親しみのある山が一瞬牙をむいたのだ。休火山だといわれていたが、1979年(昭和54年)に突如噴火している。35年前である。火山噴火の予知研究は相当すすんでいると思っていた。ところがテレビに登場する学者たちは噴火を予知するのは無理だという。活火山に登るときはヘルメットを用意しろとひとごとのように発言をなさる。御嶽山、この山は噴火の可能性のある山だ。今回も2週間前から山頂付近で地震が続いていたという。これが予兆なのではないのか。登山する人はそんな情報まではつかめない。それではどうすればいいのか。ここで台風観測の歴史を振り返ってみるのだ。御嶽山噴火の一週間後に台風18号が発生している。テレビは台風の進路を日本の地図上に描きだし、映像でその中心の雲まで見せてくれる。今日の台風情報はもう当たり前になっているが、ひところどこからやってくるか、どのくらいの大きさか、わからなかったのだ。55年前の昭和34年の台風15号は、死者行方不明者5千人という大変な被害をもたらした。紀伊半島から東海地方へほぼ全国的な範囲で襲った。伊勢湾台風と呼ばれた。これをきっかけに台風の進路を事前に捕えようと富士山の山頂にレーダーが建設されることになった。昭和39年10月、東京オリンピック開会式の1週間前に完成する。このレーダーで台風の被害はまたたくまに減ってしまった。10年前、富士山頂のレーダーは気象衛星の発達でその使命を終えた。どれだけ台風上陸を知るのに役に立ったか。今日の精密な台風情報を思えば、火山の噴火予知の技術開発にすみやかに取り組むべきで、まさにそのときが来たのだと思う。日本の科学技術をして不可能ではない。国がやるかやらないか、だけである。

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11月14日(金)乾坤一擲    青葉区版379号 

11月8日、上海フィギアスケート大会でのことだった。羽生結弦選手が試合前の練習中に怪我をしたのだ。大会で怪我をして2位だったということはチラッとラジオで聴いて知っていたが、詳しくはわからない。翌日、日曜日のニュースショーで衝突のシーンが放映。思わず、相手はどこの国の選手だと叫んでしまった。水泳の富田選手のことが頭をよぎったのだ。韓国?中国?と思わず連想してしまった。試合前の6分間の出来事だった。相手は中国の選手だった。ま、これは故意ではなかったが。試合前の練習の方法に問題があるようだった。羽生結弦選手はその怪我を押して出場。何回も転びながら2位。ブライアン・オーサーコーチが必死に将来のこと考えて棄権しろとアドバイスするが振り切って出場したのだ。羽生結弦選手は不調だった。練習不足。アイスショーに浅田真央、高橋大輔の穴を埋めるために、狩り出されていた。スケート界のドル箱は酷使されたのだ。翌日帰国して精密検査。全治2,3週間の傷で済んだ。ほっとした。ただこの時代、情報は瞬時にして世界に伝わってしまう。情報は速くて鮮明だ。繰りかえし使える。使い方によっては凶器にもなる。中国や、韓国、北朝鮮はこういう情報操作で世界を操り、国内では反日感情の教育を徹底している。小笠原沖の中国船200隻。珊瑚を狙って押し寄せるのだ。民間の漁船が出来るものではない。これはもう後ろには国があることははっきりしている。歴史認識の違いと、中国の華春宝・女性スポークスマンが無表情で質問を受け流すと、世界は中国側にも理があるのではと思ってしまう。韓国で起きた水泳の富田選手のカメラ窃盗事件。報道陣のカメラを盗んだというのだが、日本の水泳の選手はプロのカメラに興味は持たない。不自然だ。カネ目当とは到底考えられない。こういう国際級の選手にはそれなりの手当ては出ていているはずだ。本人は誰かがカバンの中に押し込んでいったのだという。あれよあれよという間の出来事。水泳の世界しか知らない若者。異国の取調べ室での状況はわかる。富田選手の弁明記者会見は見るに忍びないものだった。何か大きなものに操られている。羽生結弦選手の試合前の練習での衝突の相手、中国の選手だったことで一瞬、またか?と思ってしまった。やはり何か、近隣国との関係改善、急ぐべきだろう。

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12月12日(金)乾坤一擲    青葉区版380号

上方の落語家・桂文珍の新作落語に「老婆の休日」というのがある。病院の待合室はいつもにぎやか。お年寄りが仲よくおしゃべりをしている。すると、「あれ?あの方は今日お見えになってないわね。どうしたのかしら?」。「どこか具合でも悪いのかしらね?」。この落語を聴いた頃、遠い先のことだと思っていたが、小紙も来年は羊年で6回目の干支を迎える。後期高令者の仲間にすでにはいっている。身体は大丈夫だという過信があった。昨年、無理をして、風邪をこじらせた。10月30日、「心不全」と診断され大学病院へ。病院の設備は凄い。コンピューター化が進みネットワークで個人のデーターは管理される。さらに検査、検査である。医療は完璧に分業化。医師は画面を見ながら薬を処方する。2ヶ月分の大量の薬が与えられる。血圧を下げるための各種の薬である。ひところの病院とは変わったなと痛感。医は仁術という言葉は遠い昔のことか?そんな中、病院に行く前にかならず読んで下さい、2013年ベストセラーランキング第1位という、「医者に殺されない47の心得」という本に出会った。近藤誠という慶応大学医学部出身の医師が書いている。医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法いうサブタイトル。読んでみると治療に通っていて疑問に思っていることをズバズバと歯に衣着せぬ論法で医療と薬の関連を追及しているのだ。とにかく日本人は薬を飲む、と外国の医師は指摘する。高血圧やコレステロール。70歳になると二人に一人は何らかの薬を飲んでいる。近藤誠さんは同業者に顰蹙を買ってるようだが、どういう訳か本はベストセラー。ここに何か医学会の大きな問題が潜んでいるような気がする。最近、小椋佳さんと谷村新司さんの対談番組を見た。小椋佳さんの次男、琵琶奏者の神田宏司さんは、13歳の時「若年性脳梗塞」で倒れた。全身麻痺でベッドの中。その傍らで一緒に歌を歌っている父親の小椋佳さんがいる映像。歌を歌わせて脳梗塞の息子を蘇らせたのだ。病室に一緒にいるときは、「生活の糧は自分で得ること。誇りに思える仕事を見つけること」と父は言い続けていたと神田宏司さん。若い綺麗な奥さんが傍らにいる仕事部屋である。生死を賭けた大病からすっかり回復している。病気を治すのは何か、そのヒントがここにあるような気がするのである。

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