社論・乾坤一擲管理
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1月11日(金)乾坤一擲    青葉区版357号/都筑区版176号 

松井秀喜引退。年末このニュースが駆け巡った。やっぱりそうかと思った。あの手首の怪我の後、精彩を欠いていた。10年前、大リーグ挑戦を発表し、アメリカへ渡った。名門ニューヨークヤンキースの一員となった。華々しいデビューだった。公式戦開幕試合、5番レフトで先発。初打席、初安打、初打点を記録。続いて本拠地・ヤンキースタジアムの第一戦は満呈ホームラン。「ゴジラ・松井秀喜」はニューヨークの人気者になった。松井がマスコミに注目されるのは星陵高校2年生の時だった。甲子園で、「快物だ」と騒がれる。どんな選手なんだろうとちょっと気になった。スポーツ誌に載った山下監督と並んで写って写真をみて警いた。小柄な山下監督の隣の大柄なごつい顔の選手。並はずれた体格と、その面構え、風格もあり、こっちが監督だろう、と思わせるほどだった。並みの17歳ではない。高校時代ホームラン総数60本。ランニングホームランは入ってない。通算打率、450。頭抜けている。3年生の夏の甲子園明徳高戦で5打席すべて敬遠という記録を作った。命じた敵の監督対して厳しい批判が集中した。別にルール違反ではない。高野連は緊急記者会見。社会問題に発展する。ドラフトでは当然注目が集まる。本人は阪神ファン。くじを引いたのは13シーズンぶりに巨人に復帰した長嶋茂雄。運命の出会いである。本人はサードにこだわったが、長嶋は、俊足、強肩を生かすため外野にコンバート。「ジョーディマジオのような選手になれ」と焚きつけた。松井秀喜は強運の星のもとに生まれている。不思議な宿命も背負っているようだ。生家は「瑠璃教会」の教祖である。祖母に霊力が備わっていた。何人も患部に手を当てて治したという。人のよさそうな松井の父親は養子で二代目教祖。松井秀喜が巨人に入団して2年目、生まれ故郷・石川県根上町に巨大な隕石が落下した。1995年である。その年から巨人の4番に定着している。ニックネームもゴシラ。昭和29年に制作された映画「ゴジラ」の観客動員数は1000万人。その特殊撮影技術に世界が注目したものだ。これのアメリカ版が作られ「GODJILLA」はニューヨークに上陸する。まるでこれまでの「ゴジラ・松井」とそっくりなのだ。38歳。恩師・長嶋茂雄の引退の年齢と同じ。すっぱりとバットを置いた。これからは指導者としての道を歩むべきだろう。あの「ナベツネ」読売会長は7日、「松井は次期巨人監督だ」と名言した。「ゴジラ」はとうとうニューヨークから日本に帰って来る。新しい「ゴジラドラマ」がここから始まるのである。

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2月 8日(金)乾坤一擲     青葉区版358号/都筑区版177号

年が明けて大相撲初場所7日目だった。相撲人気復活の兆しか、テレビの画面、国技館はほぼ満席。するとアナウンサーが急に顔を雲らせ「大鵬さんが今日3時30分亡くなられました」。このニュースはたちまちのうちに全世界にひろまった。昭和36年最年少で横綱に昇進。このあたりから「いざなぎ景気」と呼ばれる高度経済成長がスタートする。大鵬の強さは圧倒的だった。日本の国力が上向きになって行くその象徴だった。宇宙では旧ソ連のガガーリン少佐が人類初の宇宙旅行に成功した。坂本九の「上を何いて歩こう」が大ヒット。三種の神器「カラーテレビ、クーラー、カー」、3c大普及が始まる。当時、通産省の官僚だった堺屋太一さんが記者団に、子供が圧倒的に好きなもの、「巨人、大鵬、玉子焼き」と話したのがすぐにひろまった。その年、王・長嶋の活躍で日本シリーズ、南海を破って日本一になっている。この4年後の昭和40年からV9が始まる。プロ野球では驚異的な巨人の強さである。少年たちは、王・長嶋の格好を真似た。さらに玉子焼きである。食料はまだそう豊富ではない。、子供たちに一番人気があったのは玉子焼きだった。そこに大鵬の出現である。大相撲が大きく変わった。スラリとした長身。ライバルの柏戸とともに端正な顔立はテレビの画面に人をくぎづけにした。大鵬の生い立ちは波乱だった。父親はロシア革命を逃れて樺太に逃れてきたコサック騎兵である。第2次世界大戦間際ソ連軍が侵攻。母親と子供たちだけ北海道に逃れる。日本人として横綱に推進しているが、ロシ人と日本人のハーフである。ほぼ似たような生い立ちで同年代の元巨人の王貞治がいる。王さんは、大鵬さんの強さにそれを目標に野球に打ち込んできた、「大鵬、二クラウス、王貞治」と自分を鼓舞してきたと弔辞で明かした。大鵬の記録で、惜しいというのがある。昭和45年、五月場所。それまで45連勝。迎えた46連勝目の戸田戦。押し出しで破れる。無念の涙を呑んだ。ところがこれは大誤審だった。あとでビデオを見ると先に戸田の足が出ていたのである。翌場所からビデオ導入が決まった。あれかなければ双葉山の69連勝は大鵬によって確実に破られていたと思う。さらに不運だったのは親方になって1977年(昭和52年)、脳梗塞で倒れるのである。相撲協会の役職をすべて降りてしまった。その後の相撲協会のゴタゴタ続き、ああ大鵬健在なりせばと慨嘆したものである。一度日本相撲協会の理事長にしたかった人である。

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3月 8日(金)乾坤一擲     青葉区版359号/都筑区版178号

NHKの「八重の桜」がおもしろい。幕末の会津藩のドラマだが、山本八重という男まさりの女性を通して激動の時代を見る。幕末から明治へ、会津藩はあの白虎隊だ。その陰にこういう女性がいたのだ。しかも後の同志社大学創始者の新島襄の奥さんである。腰に刀を帯び、七連発のスペンサー銃をぶっ放す。幕末のジャンヌダルクというのだから痛快時代劇である。幕末は、薩長土肥の勝者側からの歴史を通常見ているから、会津藩をとらえたのはいい視点だ。今回の「八重」には会津藩独特の子弟教育観がちりばめられている。日本中だいたいこういう教育の仕組みだったのではないかと思われる。今の日本の教育問題への警鐘だろう。このドラマでよく出てくる「ならぬものはならぬ」という言葉だ。会津藩の藩士の男の子供たちは「什」というグループを作った。10人ぐらいの組である。それには掟があった。それを「什の掟」という。7か条の決め事である。一、年長者のいうことに背いてはいけませぬ。二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。三、虚言を言うことはなりませぬ。四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。五、弱いものをいじめてはなりませぬ。六、戸外でものを食べてはなりませぬ。七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。その掟の最後に「ならぬものはならぬものです」が来るのである。什長がそれぞれの項目を問う。自己申告で、「実は年長者にあったが挨拶をわすれてしまった」と報告すると、すぐに制裁される。どういう制裁かというと、軽いのでは、「無念」。みんなの前で「これは恥ずべきことでした。無念です」とお詫びをする。「しっぺい」。指で手のひらをたたかれる。「絶好」。この罰は父親か兄が什長に詫びて本人も改悛すれば復帰できる。重刑は「雪埋め」。これは雪国の子供らしいユーモラスな刑である。7歳から9歳、その子供たちの7か条の法律の最後に「ならぬものはならぬものです」がある。この「什の掟」で育った少年の部隊が「白虎隊」。新政府軍との戦いに敗れ、飯盛山から市街が燃えているのを城が燃えていると誤認。全員自刃する。「ならぬものはならぬ」とこのドラマの中でよく口にする、西田敏行演ずる会津藩家老・西郷頼母。主君・松平容保に京都守護職辞退を進言し、怒りを買い、家老職を解任、蟄居を命ぜられる。新撰組の後ろ盾になったのが会津藩。怨み骨髄の新政府軍は会津若松城を総攻撃。落城。その後会津藩主・松平容保は日光東照宮の宮司となり西郷頼母もそこの神官となる。講道館四天王の一人、あの「姿三四郎」のモデルといわれる西郷四郎は頼母の養子である。

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4月12日(金)乾坤一擲     青葉区版360号/都筑区版179号

 4月1日だった。ネットのニュースで松井・長嶋国民栄誉賞受賞の文字が流れた。突然でしかもエイプリルフール。一瞬、えっ、と思ったが、松井現役引退のセレモニーが5月5日、東京ドームであるという。そこに恩師の長嶋さんと始球式。お膳立てが揃っている。「巨人・大鵬…」の大鵬さんはつい最近没後受賞。長嶋国民栄誉賞待望論はずっーとあった。だれもが長嶋さんにもと思っていたので日本中が大騒ぎ。これは陰で「大きなもの」が安倍さんを動かしたなと思った。ところがこの記事のスクープは上毛新間だという。群馬県の地方新聞。松井も長嶋さんも縁のない土地なのだ。ミステリアスな出来事だ。それにしても長嶋さん受賞が少しおそかった。もっと早くもらってもよかった。国民栄誉賞の受賞第1号が長年のライバル王さんなのだ。長嶋さんも、この賞は欲しかったのではないか。悲運は2004年・アテネオリンピックの年である。野球が種目にあった。長嶋さん、監督で張り切っていた。奥さんとは東京オリンピックで結ばれている。オリンピックというと燃えるのだ。それが突然病気で到れてしまう。この時金メダルをとっていたら、間違いなく国民栄誉賞だった。野球人としては、昭和62年、鉄人・衣笠祥雄が連続試合出場世界記録で二人目の受賞をする。王さんは「記録の人」、長嶋さんは「記憶の人」といわれている。「国民的な人気」ということでは国民栄誉賞の基準はクリアしない。ただ基準を超えて十分の資格があるのに辞退した野球人が二人いる。世界の盗塁王・福本豊がその一人。「こんなのもらったら立ちションなんかできなくなる」といって断った。これは大変な話題になった。衣笠祥雄より2年前のことだった。あのイチローも「いただくことはうれしいが、まだ現役で発展途上。もしいただけるなら現役を引退したとき」と断っている。そのあと、メジャーリーグ最多安打を記録した。打診されたが、再度辞退している。38歳の松井秀喜は、現役引退後、恩師・長嶋茂雄との同時受賞を快く受けた。この二人はドラフト会議で奇跡の出会をする。長嶋さんの監督復帰の大仕事が4チーム競合の高校生・松井秀喜のくじ引きである。見事引き当てた。松井秀喜は巨人より阪神ファン。阪神に行きたかった。長嶋監督の出会いが運命を変える。サードのポジションを希望したが、長嶋監督は強靭な肩と、11秒台の走力を生かすにはセンターだ、と松井を説得。これはなるほど大成功。松井・長嶋のメイクドラマが始まった。日本での活躍、大リーグでの実績、大リーガーたちの間でも評判の人柄。長嶋茂雄以上の指導者になってもらうこと日本中だれもがが期待している。  

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5月17日(金)乾坤一擲     青葉区版361号/都筑区版180号

3月末、石原慎太郎・日本維新の会代表の入院騒ぎがあった。いろんな憶測が飛び交った。永田町では「風邪は癌、入院は危篤」といわれ、噂が噂を呼び、確かに入院するとそのまま帰らないことが多い。石原慎太郎氏周辺の情報がネット上でも流れていたがはっきりしたことはわからない。そこに突然、「石原慎太郎、脳梗塞」と、菅直人元総理が漏らしたというニュースである。これは、菅という人の性格をよくあらわしているなと思った。政治家の病気は政治生命にかかわる大変な機密事項で、たとえ政敵であろうとも、政治家同士軽はずみな言動は避ける。武士の情けというやつである。ところが菅直人にはそれはあてはまらない。民主党元代表で鳩山由紀夫の次に総理に選ばれた人である。国民期待の政権交代を実現したものの、3・11、日本を揺るがす東日本大震災の時、国会は菅首相に渡った在日韓国人からの違法献金の審議の真っ最中だった。自民党から民主党への政権交代の期待はクリーンさだった。追い詰められて、この大地震への対策で起死回生を狙って動き、失敗。首相の座を追われた。もともと日本国を背負うにふさわしい首相の器ではない。自民党の敵失で政権が転がり込み、最初の鳩山由紀夫首相が「母親からの子供手当て問題」で失脚し、順番からそこに小沢一郎が来るはずだったのに、政治資金の虚偽記載問題で動けず、菅直人に首相の座が転がり込んで来た。その後、政治運営の未熟さで民主党は国民から見放され、昨年末、自民党に政権を取り戻されてしまった。つい最近、5月12日の各紙朝刊、久しぶり菅直人元首相が、破顔一笑、写真入りで登場。民主党が日本橋で「公開大反省会」を開いたのだ。安倍内閣の支持率急上昇、40%台。民主党は10%である。6月に都議選、7月は参議院選だ。これではアカンと民主党若手の発案で、30代の若者たちを集めて、「民主党公開大反省会」を開いたのだ。菅元首相、他2名の元閣僚が出席。3人に質問するという形式だ。菅直人という人はこういう場が似合う人だ。言い訳が上手い。ただ、苦楽を共に、政権獲得の推進役だった、小沢一郎、鳩山由紀夫両氏への質問への発言には驚いた。「小沢さんの権力志向の強さは異常。こんなひどい人とは思わなかった」。「鳩山さんより、私の方が常識人」。ここまで言うかである。普天間移設問題への迷走には、「期待を裏切って残念なことだった」と人ごとのように。どこかの新聞には、「反省なき大反省会、民主失笑ライブ=vとあった。そのころ、政権を失った最大の責任者・野田佳彦元総理はプロレスラーの引退セレモニーへ。民主党が本当に反省しているようには思えない。

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6月14日(金)乾坤一擲     青葉区版362号/都筑区版181号

首相公邸に幽霊が出る。突然話題になった。5月15日参議院で民主党の議員が質問趣意書を提出したのである。「就任以降首相が公邸に引越さないのは幽霊がいるためなのか」という内容なのだ。今時国会で幽霊話とは何んと滑稽で不謹慎だと思うのだが、これはどうも人間界の、魑魅魍魎、おどろおどしい敵の動きの探り合いのようだ。そもそも首相官邸と公邸というのは、前者が仕事場・事務所で、後者は住まいのことである。同じ敷地内にある。公邸は現在の官邸が出来るまで官邸として使われていた。それが公邸は8年前に改築されたのだ。小泉さんの在任中のことだ。旧公邸は1932年の「五一五事件」に遭遇。4年後、「ニ・二六事件」で反乱軍に襲撃されている。しかも公邸は、佐賀・鍋島藩の江戸屋敷があったところなのだそうだ。「鍋島の化け猫騒動」は戦後のひところお盆映画の定番だった。鍋島藩主が主家の御曹司を囲碁の対戦中惨殺してしまう。これがお家騒動に発展していく。切腹させられた主君の可愛がっていた猫。それが復讐するというストーリーである。その因縁の屋敷跡の上に首相公邸がある。そういう背景もあって、人の歩いている音がする、異様な雰囲気の部屋がある、という噂の首相のお住まいなのである。そういうところには吉田茂、鳩山一郎、こういうかたはお住みにならない。32年間誰も住まなかった公邸に、ノーベル平和賞の佐藤栄作さんが初めて住んだ。安保改定などのデモが私邸を取り囲み、近隣の迷惑になるからといって引っ越した。その後、あの田中角栄さんは目白の豪邸から国会へ。それ以外公邸に入っていた首相経験者たちの中で、中曽根さんは深夜に怪しげなものを体験、細川さんは幽霊が出ないという一室だけ使い、羽田孜さんは庭に軍人の姿を見た、森さんは足のある幽霊を目撃しているという。そういう永田町の幽霊ばなしはずっとあったのだ。今回の野党側の言い分は、震災など発生した時の危機管理上、首相は公邸に住むべしということだ。俺たちの首相は使ったぞ。そうしないのは「幽霊が怖いのか」とジャブを送ったのだ。どうも安倍さんが公邸に入らないのは幽霊のせいではなさそうである。この方は前回の内閣の時はすぐに入っている。奥さんも台所を改修したりして幽霊などまったく眼中になかった。今回入らないのは、あの内閣官房参与・飯島勲さんが、「民主党時代、いろんな人たちが公邸に出入りできて、中には極めて左の人物も自由に出入りした」のだから、仕込まれたかもしれない盗聴器に神経を尖らすのは当たり前だと言っているのだ。これが3年ぶり政権奪回の与党の本音のようである。

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7月12日(金)乾坤一滴     青葉区版363号/都筑区版182号


NHK大河ドラマ「八重の桜」は丸一ヶ月間続行された鶴ヶ城の籠城戦の真っ只中。白虎隊19名の自刃の悲劇はその初日に起っている。隆伏後の滅藩処分。明治新政府の処断は血も涙もない。それにしても会津の藩を上げての抵抗はすさましい。その因は藩祖・保科正之の生い立ちにあるようだ。この方は徳川二代将軍秀忠の側室・静との間に生まれた子。正室のお江の方に遠ざけられ、数奇な運命をたどり甲州高遠藩の藩主へ。その後、異母兄の三代将軍家光に無私の謙虚な人柄を認められ、会津24万石の大名に取り立てられる。その保科正之の「会津藩家訓15ヶ条」に曰く「若し徳川家に二心を抱かば我が子孫に非ず」。この精神が幕末維新・第九代の松平容保まで脈々と続く。薩長との闘い、怯む訳にはいかない。正之の徳川への報恩は、国許には帰らず23年間江戸詰めの幕閣として仕えることだった。水不足に悩む江戸の人々のために「玉川上水」を築き上げる。江戸城天守閣まで消失した「明暦の大火」の後、焼け出された江戸の町民の救済を優先し、実用的ではない天守閣は再建せずと決断した。国許では朱子学を中心とした師弟教育に力を入れた。藩校日新館である。その教えは白虎隊の飯盛山での自決までに到るのだが、この行為を明治になって評価したのは外国人たちである。駐日ドイツ大使のフォン・エッドルフは飯盛山に出向き19人の若者たちの行動に感動して碑を寄贈。ドイツ語の講師として日本に来ていたこれもドイツ人のヒャルド・ハイゼ。第一次世界大戦で日独の関係が険悪になり強引に帰国させられるが、自分が亡くなったらどうしても少年たちの眠る飯盛山に一緒に埋めて欲しいと思い続け、1940年、実現する。その第一次大戦で捕虜になった一千人人のドイツ人たちを管理する日本陸軍の松江豊寿大佐。信じられない寛容さで彼らに接し続けた。「かれらも祖国のために戦ったのだから」、と所員たちには「武士の情け」を無言で実践させた。その松江大佐の父は最後の会津藩士。保科から松江へ伝達された仁愛の心。捕虜のドイツ人たちは、収容所の中で、ベートーベン作曲「歓喜の歌・交響曲第九番」の合唱で応えている。

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8月 9日(金)乾坤一擲     青葉区版364号/都筑区版183号

今、共産党に注目が集っている。6月の都議選、7月の参院選と、どうしてか急に躍進し始めた。ネット選挙解禁によって、ひところの「革命政党」へのアレルギーが少なくなった若者たちの支持を広げていったこともあるようだ。さらに他の野党に勢いがなくなった。「維新」も東京の古い体質の元自民党の議員グループと、大阪の橋下大阪市長を中心とした新人類たちの間に亀裂が走っている。「みんな」もなにやら2つの頭がそれぞれヨソを向いたまま突き進んでいる。「民主」はあの時の熱気がウソのよう。海江田さんでは求心力がない。「自公イヤ、民主コリゴリ、維新ダメ。こうなりゃあ共産に入れるしかない」。こんな心理が今回の参院選で有権者に働いた可能性がる(産経8月5日付)。無党派層は「仕方なく」共産党に投じたと報じている。日本共産党が設立したのは大正11年。主要政党の中では最も古い歴史を持っている。党名も変えずイメージは一貫している。社会主義的変革をめざすが、旧ソ連や中国の共産党とは一線を画している。北朝鮮には拉致問題ではいち早く疑惑を追及している。最近、緊迫する朝鮮半島のこれまでの日本との経緯、南北朝鮮との歴史的な問題、調べるのに何かいい本はないかと、ネットで、荻原遼さんの「金日成とマッカーサーの陰謀・朝鮮戦争」を取り寄せた。ぱらぱらとめくっていたら、これがおもしろいのだ。ワシントンの国立公文書館に保存される米軍奪取の北朝鮮文書160万ページを読み解答いた、あの朝鮮の悲劇「朝鮮戦争」の赤裸々なリポートである。読みやすい。作者の荻原遼さんというのはどういう人なんだろう。ガチガチの保守派のリポーターで共産党などとはまったく逆の人だとおもったら、発行部数130万部、日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」の元記者。今はフリーランスとなっている。内容は、とにかく目からウロコである。「抗日英雄の金日成将軍」に摩り替わったのが「金成柱」。金正恩のおじいさまの「金日成」なのだ。スターリンの旧ソ連の仕業で、朝鮮半島を自分たちのいうことを聞く「衛星国」にするために、中国からソ連に逃げ込んで来てソ連兵になっていた33歳の、まだ若い朝鮮人の大尉を「抗日英雄」に仕立て上げた。集まった民衆の中に、「偽者だ!金日成将軍はこんな若くないぞ!」と叫んだものがいたがソ連軍は無視し、朝鮮の救世主だといって強引に祭り上げた。そこから南進が開始される。その時のソ連兵たちの略奪、暴行、強姦はもうこの世のものと思えないほどだった。日本が統治していた時とは大違い。その事実を日本共産党の機関紙「赤旗」の元記者であった荻原遼さんがレポートしているのだ。そこがこの本の面白いところである。

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9月13日(金)乾坤一擲   青葉区版365号/都筑区版184号 

2020年のオリンピックの開催地に東京が決定した。日本中が固唾を呑んで見守る中、ロゲIOC会長が「トキョ」と結果を読み上げる。一瞬感動する。前回1964年の時はどうだったか、まったく記憶がない。決定したのは1959年5月26日である。東洋で初めての開催という。その一月半前に皇太子・美智子様のご成婚である。これは沸いた。こちらで興奮しているから東京オリンピック決定には冷めていたのかもしれない。小紙は当時、高校一年生、熊本市内に、三畳一間の下宿生活を始めたばかり。その狭い空間でこれからの行く末を思い巡らしていた。オリンピックなどどうでもよかった。四年後、東京オリンピック開催の前年上京する。貧乏学生たちが同居する県人寮にはそういった華やかなオリンピックへの関心はまるでない。ただ少しずつ街が変化していくことには気がつきだす。さあ、今度は2回めの東京オリンピックだ。東京マラソンを成功させ、次はオリンピック開催だと燃えていた石原慎太郎前東京都知事、2016年の招致には失敗した。あのころは民主党政権。鳩山総理だったが、都知事の思惑とは違って、あまり乗ってなかった。あの、決して腰の低くない「慎太郎知事」も首相のもとに通い、引っ張り出したが、演説に迫力はなかった。今回は政権あげてのバックアップ。ただ、誘致合戦の裏には日本女性の美しい力があったと思うのだ。一人は、猪瀬直樹都知事のゆり子夫人である。ご主人を支えて常に陰のように付き添った。ところが、直前、悪性脳腫瘍を告知され余命3ヶ月。7月21日、帰らぬ人となった。最後のプレゼンテーションのときの猪瀬知事の胸にはその日「四十九日」の夫人の遺影がしっかりと納められていたのである。もう一人は高円宮久子様である。まず、東日本大震災への支援に対するお礼をスピーチされた。それが流暢なフランス語と端麗な英語を交えながらである。若くしてなくなられた殿下のスポーツを通じた活動はつとに有名で、その想いもひしひしと伝わった。最後は、パラリンピックの佐藤真海さん。大学2年チアガール部、ある日、右足先が骨肉腫だと診断され切断。絶望の淵から救われたのは、『乗り越えられない試練を神様は与えない」というお母さんの言葉だった。「よし、スポーツを続けよう」と決意した。右足に義足を付けて二回もパラリンピックに出た。ところがロンドンオリンピックの前、2011年3月11日の東日本大震災である。支えてくれた母や家族の消息がわからない。それが6日後にわかったときの喜びは忘れられない。被災地の子供たちを支えて行くのはスポーツだと訴え、見事な英語のスピーチだった。2020年、また、オリンピックがやってくるけれども、私はこの三人の女性のことを決して忘れないだろう。

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10月11日(金)乾坤一擲    青葉区版366号/都筑区版185号 

踏切りで倒れている男性(74歳)を助けようとして亡くなった村田奈津恵さん(40歳)のニュースはあっという間に世界を駆け巡った。10月1日午前11時半、JR横浜線中山駅近くの踏み切りである。男性は助かり、「あ、ひかれちゃう」と言いながら父親の運転する車から飛び降りて踏み切り内に入った奈津恵さんは帰らぬ人となった。警察の調べでは男性は線路上に倒れたのだが、列車の進行方向に向けられていて、難を免れた。これは奈津恵さんがレールの横に移したからだということがわかった。奈津恵さんの行動は驚異的だ。咄嗟にシートベルトを外し、「誰か非常ベルを押してください」と叫び男性を安全なところに運び出しているのだ。葬儀には阿倍首相の名代で官房長官もかけつけ、「紅綬褒章」が贈られた。これは日本の褒章の一つで、自己の危難を顧みず人命の救助に尽力した人に授与するものである。1881年(明治14年)の太政官布告第63号「褒章条例」により制定された。翌1882年、水難救助の功により青森県の工藤仁次郎氏に授与されたのが最初。しかし、戦後は受章者が減少し、平成に入ってからは受章者がいなくなっていた。奈津恵さんへ贈られるのは当然のことだろう。今回の事故は、救出劇の美談として注目されているが、「踏み切りの構造」に問題はないだろうか。横浜線の開通は1908年(明治41年)である。八王子や信州で生産された生糸を横浜に運ぶために作られた。もう100年以上も時が経っている。鉄道は石炭の動力から電力に変わった。スピードも比較にならない。線路が敷かれたころとはその周辺も、人口は増え続け、車社会のもたらす道路環境の変化は想像を越えている。今回の事故のあった踏み切りは駅商店街を抱え、人が多い上に渡る距離は長い。ご高齢の方が、歩いて渡る間に、身体に異変がおきることはある。そういうことを想定して踏み切りの安全管理は急務だろう。日本国有鉄道が民営化されて六つ旅客鉄道会社と一つの貨物鉄道会社に分かれたのが1987年(昭和62年)である。その民営化によって、経営上極端なことがおきているのがJR北海道。安全管理上に影を落とす不祥事が頻発している。脱線災事故、居眠り運転、保線ミスよる貨物線脱線、運転士の覚醒剤使用、、非常ブレーキ不備のまま運転していた事実。次々と発覚。2011年には社長が失踪。遺体となって発見されている。某週刊誌の情報によると社員の8割以上が「革マル系労組」。この労組の力が経営陣を上回っている。分割民営化によって資金力の不安定化もJRの大きな問題のようだ。今回の横浜線の踏み切り事故。奈津恵さんの美談だけに終わらせてはいけない。鉄道の安全上の問題は国にも責任があることを忘れてはならない。

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11月 8日(金)乾坤一擲    青葉区版367/都筑区版186号 

今年のプロ野球日本シリーズは巨人と楽天。対照的な球団で、日本でプロ野球が生まれた時からの老舗と、創立9年目のまだ「ひよこ球団」。シリーズが始まると球界の大重鎮・川上哲治氏の悲報が知らされた。93歳。このシリーズの最中の28日に帰らぬ人となった。終身打率3割の大打者で、9年連続日本一の大監督だった。戦後、娯楽もない、ものもない時代、田んぼや空き地でやる野球というゲームには日本中の少年たちが夢中になったものだった。そのころのスターは川上、大下、青田。テレビはないから情報はラジオの実況放送。九州の田舎では球場で観戦する機会はない。子供たちは、昼間、あちこちから聞えるラジオの放送を聞きながら空き地で野球に夢中になっていた。川上さんは「打撃の神様」と言われていた。川上さんのバットは赤く塗ってあって、「赤バット」にするとヒットが打てると信じてペンキで赤く塗ったものだった。小紙は熊本。川上さんとの唯一の接点はその熊本だった。川上さんの出身地・人吉には親戚があった。風の便りによると川上さんの生家跡にはあちこちから野球少年たちが集まってきて玄関の柱をなでて帰るのだそうだ。その御利益は、必ずヒットが出る。これを聞いたら行かない訳にはいかない。トンネルが無数にある肥薩線。鼻の穴を真っ黒にして勇躍・川上邸へ。西人吉駅から歩くと同じような野球少年たちが同じ方向に向かって歩いていた。昭和27年頃の話である。昭和57年、つかこうへい脚色、深作欽二監督、松坂慶子主演の「蒲田行進曲」にこの人吉が出てくる。脇役の平田満の故郷という設定である。妙なめぐりあわせから松坂慶子と夫婦になることになり故郷へ凱旋するのである。そんなこんな、巨人と楽天との日本シリーズの最中に川上さんが亡くなった。楽天の星野監督と川上さんとは縁浅からぬ仲で、明治大学の星野仙一投手は巨人がドラフトで一位に指名するという密約があったのに、巨人は「島野」を指名。星野は怒った、「島」と「星」とを取り違えたのではないか?その時の巨人監督は川上哲治である。星野は、巨人を追われ、中日の監督に招聘された水原茂に指名される。それから星野の逆襲が始まるのだ。ほかに負けても巨人だけには負けない。そんな星野が野球人として一番信頼することになるのが川上哲治氏だった。NHKの野球解説で一緒になった。凄い野球のセンスだ。野球以外の知識も豊富。禅にも精通し、いろんな本も読む。野球に対する厳しさは想像を上回る。ドラフトで巨人から裏切られたと思っていた己の器の狭さ、川上哲治氏へ傾倒していく。その恩師の前で、巨人を破る、それを見せたかったに違いない。星野仙一楽天ゴールデンルデンイーグルス監督の背番号、77は、川上哲治V9監督の背番号だったのだから。

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12月13日(金)乾坤一擲    青葉区版368号/都筑区版187号

 「歴女」というのは、「山ガール」に対抗して各地の歴史上の建造物など大挙して訪れる行動力のある「歴史好きの女性」のことである。必然、テレビも歴史物に人気が集まる。資料も数多く発見され、映像の技術も進歩しているから、わかりやすい。「歴女」の出現はこういったテレビ番組によるものなのか、「歴女」が歴史番組を作らせているのか。今年の大河ドラマ「八重の桜」も狙いどころがよかった。幕末を会津藩側からとらえ歴史の真実が見えた。最近、グイっと引き込まれたのが、NHK「歴史秘話ヒストリア」である。渡邊あゆみが司会する。このアナウンサーの存在を再認識したのは、亡くなった立川談志のラジオ番組「新・話の泉」だった。百戦錬磨の話術の達人たちを向うに回して、丁々発止、一歩も引けをとらない。談志が気に入った女性アナウンサーなのだから並ではない。12月4日の第166回は「あなたの知らない信長の素顔 〜英雄の記録者太田牛一の生涯〜」だった。日本歴史上、戦国時代の傑物・織田信長に仕えていた弓の名手・太田牛一、彼にはそれ以上の腕前があった。あらゆることをメモするという才能である。当時優れた筆記具を特別持っていた訳ではない。書き付ける紙も少ない。牛一は主君・信長の魅力にとりつかれてしまう。殿の一挙手一投足に引き込まれメモしていくのである。きっかけは信長の奇妙なファッションと「うつけ」といわれる変人ぶりに気がついたことからだ。信長の若い時の変わった行動は後の劇作家たちのオーバーな演出で、正確な史実にもとったものではないと思っていた。ところがそうではなかった。目の当たりにする信長の仕草や発する言葉、強烈な個性は「メモ魔」・太田牛一に記録させずにはおかなかった。織田信長の50年の一生は映画・テレビで誰が演出しても一本線が通っているドラマになるのは、見事なくらい緻密な記録が現存しているからだ。牛一は、本能寺の変で信長がこの世から消えてしまうと、張り合いをなくし、もぬけの殻になてしまう。記録する材料がなくなったのだ。しばらくして、そうだ、こうなると、本能寺の変、での主君の最後の記録だ、と気がつき、本能寺の生き残りを、日本中探しまわる。信長は最後、傍にいた二人の侍女に「逃げろ!」と命じている。その侍女たちが生き残っていることが分かり、訪ねて、詳細をメモする。槍で応戦し、手傷を負い、もはやこれまでと炎の中に飛び込んで自害するシーン、明智光秀謀反を知ったときのセリフ「是非に及ばず」。みんな牛一の取材メモに残っているのである。太田家に現存するのは写経の裏に書いたものもある。びっしりと書かれ巻物にして保存されている。歴史の裏側に隠れていた太田牛一なる異色の人物。今蘇らせたのは「歴女」たちに間違いはない。

あおばタイムズ
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