社論・乾坤一擲管理
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1月11日(金)乾坤一擲    青葉区版429号

今年の箱根駅伝は東海大学が初の総合優勝。お正月名物のこの大学駅伝は1920年に始まって95回目。この間、戦争で3回開催されてない。このところ毎年盛り上がって、今年のテレビ視聴率は史上最高。記録もどんどん更新される。速くなってるのは、今話題の厚底靴だという。今回の箱根駅伝では選手の4割が使用している ◆NHKの大河ドラマ、「いだてん」が始まった。マラソンの父といわれる金栗四三も主な登場人物の一人である。箱根駅伝の創設に尽力している。熊本の出身で、最近地震でお騒がせした玉名の和水(なごみ)町。明治30年頃である。小学校は12キロの道のりを早足で登下校している。履いてるのは靴ではなく草履。成績はよかったので東京師範学校へ。そこで、「柔道の父」でもあり「日本の体育の父」とも呼ばれた嘉納治五郎と、金栗四三は運命的な出会いをするのだ ◆校長の嘉納治五郎はアジアで初めてのIOC委員に選ばれる。日本を第5回ストックホルムオリンピック大会に参加させると決意する。予選会のマラソンに出場した金栗四三はそのころ日本には存在しなかったマラソンシューズでなく、特製のマラソン足袋を履いて、世界新記録を27分も破る記録で優勝してしまうのである ◆予選会で驚異的な記録を出した金栗四三は日本で初めてののオリンピック出場選手に選ばれる。ところが長旅や現地の食事に悩まされながらのスタート。途中で意識を失い、助けられ一晩農家で過ごしてしまう。結果、ゴールに届かず記録は「行方不明」扱い。これには後日談があって、55年後、金栗四三はスエーデンに招待され、用意されたゴールのテープを切った。「金栗四三選手、54年8ヶ月5時間32分20秒3の記録でゴールしました。」

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2月 8日(金)乾坤一擲    青葉区版430号

一月十四日、話題の豊洲市場をちょっと見ておこうと電車で出かけた。あれだけ騒がれたんだから、祭日の休みの日、市場は混んでるだろうなと早朝の電車の中。市場の中のお店で何を食おうか、と胸をときめかせていた。モノレールのような空中を走る電車。まわりは高層のビルが林立す壮大な車窓。豊洲市場駅に着くと、おやっ、人はまばら。「市場、場内の店舗は日祭日はお休みです」という看板。訪れた中南米あたりの外人たちも困った顔をして、駅員に聞いている。市場は企業なのだから日曜祭日は休むのだそうだ

 ◆こんなところにいても仕方がない。そうだあそこだ。柴又の帝釈天に行こう。柴又の駅は大混雑。「寅さん」の傍に妹「さくら」の銅像が、二年前の三月に建てられている。参道は人、人、人。成人式の振り袖姿もあちこちに。両側のお店から元気のいい掛け声が聞こえる。市場というのは毎日もしくは一定の日、商売人が集まって商品を売買するところなのだ。的屋(てきや)、香具屋(やし)などと一緒に、猿回しなどの大道芸人も門前に市をなした。戦後の混乱期には日本のあちこちに見られた風物で、子供たちの神社のお祭りの楽しみ、はこれだった。帝釈天の参道で育った「ふうてんの寅さん」、は山田洋次の作り上げた「落語の主人公」。「寅さん」は「与太郎」なのだ ◆ところが、最近ネット上で、「男はつらいよ」が嫌いという投稿が話題になっているという。性格に難ありの自称テキ屋がやりたい放題やってるだけ。主人公のいい加減なキャラクターに嫌悪感を感じる、など次々にエントリーされているそうだ ◆落語は立川談志が言ってるように「人間の業の肯定」。業というのは人間の欲や本能。それを認めるのが落語。業を否定することは人間を否定してしまうということ。世の中、肩の力を抜いて生きて行け。豊洲市場は人がまばらで、柴又の参道は人の渦。これがその答えのようだ。

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3月 1日(金)乾坤一擲    青葉区版431号

2014年12月に種子島の宇宙センターから打ち上げられたハヤブサ2号が小惑星「リュウグウ」に降下を開始しする、というニュースが流れた。2月21日だった。3億4000万キロも離れた直系900メートルの小さな惑星である。2016年6月に20キロの上空に到達し観測を続けていた。それがいよいよ地表に降下し、金属弾を発射して砂や岩などのサンプルを採取する。リュウグウにいる時間はほんの数秒。それが成功すると相模原にあるJAXAの宇宙センターは「おおっ!」という歓声に包まれた ◆リュウグウ、である。これはもう誰でも直ぐにお伽噺の竜宮城を連想するに違いない。浦島太郎は海辺で子供たちにいたずらされからかわれている亀を助ける。亀はそのお礼に海底にある竜宮城に案内する。乙姫様のおもてなしに夢のような生活を過ごす。帰りに玉手箱を渡されて、開けてはならない、と言われたが陸に上がると誰も知り合いはいない。景色も違う。開けるなといわれた箱を開けると時が三百年もたって白髪のお爺さんになってしまう。戦後間もない頃の小学校学芸会の定番だった ◆これは日本書紀にも残っている、8世紀、雄略天皇のときのお話で、浦島太郎は、「浦島子」といい、連れて行かれる先は蓬莱山である。浦島太郎伝説は日本中にある。横浜には、神奈川区の慶運寺、浦島太郎の両親が住んでいたところでその墓もあり、「浦島大明神」が祭られている。近くに浦島小学校がある ◆日本から「ハヤブサ2号」が「リュウグウ」へ飛んで行って、一瞬、「お伽噺」が蘇った。残酷な噺は、カチカチ山。捉えられた狸はうまくお婆さんをだまして、「ババ汁」にして食って逃げる。狸は兎にかたきをとられる。兎は背中に背負わせた薪に火をつけて殺してしまうのだ。この事件、ある小学校の模擬裁判で、兎には「懲役15年」という判決がいいわたされた。裁判員制度が導入された年である。

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3月29日(金)3月29日(金) 乾坤一擲    青葉区版432号

アメリカ大リーグのマリナーズとアスレチックの開幕戦が東京ドームで行われた翌日、イチローが成田空港に現われた。世間が注目した引退記者会見の興奮がまだ醒めやらぬ中、弓子夫人と一緒にアメリカへ向かった。それも全日空の粋な計らいで、51番ゲイトからである。大リーグの開幕戦を日本でというのは、当然、イチローの存在だった。45歳。ただ、ここで引退、とは思わなかった。シーズンの最後にそうなるだろう、と予想していたのだが ◆イチローの本名、鈴木一朗。愛知県出身。愛知工大名電工から、オリックスブルーウェーブズへ。入団した時、監督は土井正三。巨人九連覇時代の二塁手である。先輩の王・長嶋、当時はダウンスイングが主流。イチローは独特の「振り子打法」。これは認められない。二軍でいい打率を残すのだが、指導陣の打法改造を拒否。イチローは、一軍にはあがれない。不遇時代が続く。そこに監督交代、という朗報である。近鉄から迎木彬がやってくる。イチローの人生を大きく変えた人事だった。西鉄ライオンズの二塁手。豊田・中西の自由奔放・荒武者たちを率いて、常勝巨人軍を叩きのめした三原脩監督の秘蔵子。打法に何も言わない。イチローと改名させ一軍スタメン。イチローは首位打者を獲得し日本野球界にデビューする。1994年、阪神淡路大震災の前の年だった ◆帰りの51番ゲイトに寄り添って現われた弓子夫人。そういえば、この方アナウンサーだったんだと、同時にどういう訳か貴乃花と元景子夫人を連想してしまった。大関昇進の貴景勝。四股名の由来は元師匠夫妻だと誰でも思うのだが ◆イチローの引退となったその日、東京は靖国神社の桜の木、例年より五日早く、去年より四日遅い開花宣言となった。夜は満月が大空に輝いた。平成最後の年は、大相撲の貴乃花、プロ野球のイチロー、同世代の二人の話題で幕を閉じるようだ。

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5月17日(金) 乾坤一擲    青葉区版433号

新しい元号は令和である。平成は天皇の生前退位によって31年で終る。次の元号は何か?発表される平成31年4月1日は千葉の大多喜城の桜の下だった。11時25分、ラジオのスイッチを入れた。発表が遅れて11時41分、「新元号は、めいわ・・・」と聞こえたが、次にはっきりと「れいわ・令和」と耳に入ってきた。城の周りを咲き誇る桜。その香りがあたりに広がっている ◆令和元年5月1日の朝は、山下公園にいた。10連休のまっただ中で街は閑散としている。海は静か。「赤い靴はいてた女の子像」は、周りはよく手入れされた花で埋まっている。その前を散歩中の家族、ランニングする人、がぱらぱらと。大きな日本の転換期。何事もなくいつもの朝を迎えているようだ。さあ、今度は皇居に行ってみよう。横浜駅から東京駅に向かった。令和元年スタートのお堀はどうだろう。平成最後の昨日は九段下駅から歩いて北の丸公園へ。そこから北詰橋門を通り江戸城の天守閣跡。のんびりと歩いて、あの「松の廊下」のあった場所から大手門を抜けて城を出た。今日は東京駅側の丸の内中央口から皇居へ。人は多い。ぞろぞろと歩いて行くと二重橋の前には人が列を作って並んでいる。警備している若い警察官に「これは何してるんですか」と聞くと、「この辺りが二重橋を通って儀式を終えた天皇をお見送りする場所だから並んでもらってます。1時間以上はかかりますよ」 ◆我が家は昭和64年1月2日に義父を亡くしている。当時、天皇の容態は深刻。葬儀屋さんは葬儀は出来ないという。1月7日天皇崩御。とたんにこちらの葬儀のお許しが出た。1月8日、あわただしく執り行われた。東京両国でのことだった。平成元年大相撲初場所は中止された ◆平成から令和へ。上皇・上皇后の今回の生前退位の決断。これは日本の長い歴史の中でも光を放つ快挙となるに違いない

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6月21日(金)乾坤一擲    青葉区版434号

警察官が刺されて拳銃が奪われた。襲われた警官は重態だ、とニュースが流れた。間もなく犯人が特定される。飯森裕次郎(33歳)。何と父親は関西テレビの常務だという。どうも最近、このような衝撃的なニュースが繰り返えされる ◆登戸の駅前。5月28日の朝だった。カリタス小学校のスクールバスを待つ子供たちと、見送りに来ていた父親が刺される。犯人は岩崎隆一(51歳)。通り魔死傷事件。この事件が引き金で元農林省事務次官が44歳の息子を殺害。「長男から暴力を受けてきた。川崎の事件にならないようにと考えた」と、76歳の超エリートが、である。同じような元通産省の高級官僚(87歳)は暴走運転で母娘2人を死亡させる。両足不自由で杖を突いて歩いているのに運転し、ブレーキが利かなかったと。4月19日、池袋でのことだった ◆日本は暗いこんな陰湿なニュースばかり。ところが香港。若者たちの主導で大規模なデモ。中国本土に容疑者引渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案への反対運動。英国から中国への返還後、「一国二制度」の中、民意が政治に反映されるとは言い難い。それが若者たちを直接行動に駆り立てる。市民の反発は収まらない。そういえば、戦車の前に立ちはだかる男性の写真で世界が注目した中国の天安門事件。この六月は30年の節目になるのだ。あの時のデモのリーダーたちは中国当局から指名手配される。彼らを救ったのは、香港の民主化活動グループだった。国外に脱出した若者は500人にものぼった。今回の香港市民と巨大な中国政府との戦い、小よく大を制する、世界は誰も中国の勝ちを望んではいない ◆日本にもこのような若者たちが生き生きとしていた時代が、そういえばあった。昭和30年代の安保闘争。昭和40年代、学園紛争。貧しかったが、闘う若者たちの目はきらきらと輝いていた

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7月12日(金)乾坤一擲    青葉区版435号

プロ野球界で妙なことがあちこちで大変な話題になっている。中日ドラゴンズの応援歌にクレームがついた。応援団が球場で歌わせる「サウスポー」の歌詞に「お前」がついてるのは子供たちによくないと、与田監督が発言した。それを球団側が応援団に使わないようにと申し入れたというのだ。どういう歌かよく知らないが、これで身内のドラゴンズのファンが怒りだした。チームは下位に低迷している。そんなことより与田は勝つことに専念しろという騒ぎである。ネット上でも野次馬たちが、「お前」がどうしていけないのか、とワイワイと加わったのだ  ◆日本での野球の話題というと、大リーグの大谷翔平だ。二刀流「オータニサーン」の、バッターとしての活躍をスポーツニュースは連日伝える。右肘の手術でピッチャーとしての出番はない。今シーズンは、5月に入ってやっとバッターだけでデビュー。「オータニサーン」は両刀使いだから魅力がある。それが一刀流ではどうかな、という心配を見事に跳ね除けた ◆6月20日、米プロバスケットNBAのドラフト会議で、日本の八村塁が日本人で初めて一巡目で指名を受けた。父親が西アフリカのベナン出身、母親が日本人。身長が2bもある。仙台で、小学生時代は野球をやっていてポジションはキャッチャーだった。バスケットは中学の時、コーチに熱心に勧誘されて入部。練習では「お前はNBAに行ける」と鼓舞され続けた。これが実現したのだ ◆この米プロバスケットのドラフト会議で指名された八村塁の出現に、ニューヨークヤンキースGM特別アドバイサー松井秀喜は、日本の野球界の危機を感じ取っている。子供たちのスポーツの選択のトップに置かれる野球時代はそろそろ終るのかも知れない、と。そういえば、それが「お前」騒ぎのような気がするのだが。

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8月23日(金)乾坤一擲    青葉区版436号

 この夏は渋野日向子の全英女子オープン優勝の快挙で、ゴルフが突然脚光を浴びることになった。世界一は42年ぶり。樋口久子がいきなり全米女子オープンを制覇したそのころ、日本ではゴルフはそんなメジャーなスポーツではない。その年、昭和52年、王貞治がホームラン756本の世界記録を達成し、国民栄誉賞第一号を受賞している。「パソコン」、「ふとん乾燥機」が売り出され、流行語は「カラオケ」、「普通の女の子に戻りたい」。流行った歌は、「渚のシンドバット」、「青春時代」。アメリカ大統領はジミー・カーター ◆イギリスでは渋野日向子の笑顔に人気が集まった。「スマイル・シンデレラ」。小学生時代ソフトボールを始めた。ポジションはピッチャー。バッターは四番で左打席に入った。投げるのは下からだから、ゴルフスイングの身体が自然に出来上がる。それに右でバット振らせない。右腰は下からの手の振り方だけを覚えていく。ソフトボールが世界一の女子ゴルファーを作り上げたのだ ◆高校野球の予選、7月25日、岩手大会決勝戦、190pの長身で、163qの剛速球投手、大船戸高校の佐々木朗希投手はマウンドに立たなかった。前日の準決勝で129球を投げている。国安陽平監督は登板を回避したのだ。張本勲は若い時は投げ過ぎて肩が壊れることはない、と「喝=v。佐々木朗希は9歳の時、東日本大震災に遭遇し、父親と祖父母を失くしている。地元では佐々木朗希を甲子園マウンドにと期待して球場は満員。どうして出さなかった!と学校の電話は鳴り響いた ◆渋野日向子、帰国二戦目、軽井沢最終ホール。バーディーでならば優勝。手が震え、スマイルも消え、ボギー。優勝を逸する。大勢のギャラリーたちは「スマイル・シンデレラ」に健闘の拍手を惜しまなかった。佐々木朗希、甲子園目前の登板回避。決してマイナスではない。これからの遥かな道。期待の集まる世間の目、それを糧にしてさらなる挑戦、これが佐々木朗希の使命である。

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9月13日(金)乾坤一擲    青葉区版437号

 今はもうアメリカの大統領が、身辺のこと、もろもろツイッターで発信する時代。情報は速く、拡がりも大きい。そんな中で今一番注目されているのが香港だろう。刻々と情勢が変わる。イギリスの植民地だったのが20年前、中国に返還され、特別行政区となった。親元がイギリスから中国に変わったのだ。香港行政長官は選挙によって選ばれるが、中国が認める候補者によって実施される。香港市民だからといって自由に出れないのだ。中国は一国二制度といって、香港行政の主導を中国は放さない。2014年、行われた香港反政府デモが雨傘運動といわれ、その時、中心になって活動したのが、黄之峰と周庭、当時17才の若者だった ◆香港は、1840年、イギリスと清(中国)との間で行われた阿片戦争で、勝ったイギリスの領土になっている。日本はペリーが黒船でやって来るちょっと前。紳士の国イギリスがインドから清に、阿片(麻薬)を売りつけていた。麻薬が蔓延し国民が疲弊していくのだから、清は困って、イギリスにNO!というと、戦争になったというのだから、事実は小説よりも奇なり、である。勝利したイギリスは、香港を自国のものとしている。第二次世界大戦中(1941年から1944年)は一時、日本の管理下にあった。中国大陸の南の小さな突端部、主要な港としてだけではなく、超高層ビルが林立し、世界的な金融都市として知られている。イギリスの統治時代の自由な気風が作り上げたものだ。ところが中国に代わったのである ◆今回は「逃亡犯条例」をめぐっての騒動である。これを「民主化運動の女神」といわれる大学生周庭、もう一人の学生、黄之峰、両人22才になっている、が主導しての猛烈なデモ。この周庭という「女神」、日本語が堪能で、アグネス・チョウともいう。だが、アグネス・チャンとは関係はない。「逃亡犯条例」は正式に撤廃されたが、この二人が求めるのは、香港行政長官の民主的な選挙である。

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10月11日(金)乾坤一擲    青葉区版438号

 セ・リーグクライマックスシリーズ、ファイナルステージは巨人と阪神が日本シリーズに向けて覇を競う。それを前にして、プロ野球のレゼンド、金田正一、が逝った。86歳。この方、大変なピッチャーだった。1950年、愛知の享営商業を2年で中退して、プロ野球・国鉄スワローズから、8月にデビューする。17才、その年、8勝。翌年、対阪神戦、ノーヒットノーランを達成。22勝を挙げる。所属する国鉄は、JRの前進で、万年最下位の弱小球団である。 ◆さらにこの金田正一を全国的に有名にしたシーンがある。1958年4月5日、開幕戦での、巨人の新人、長嶋茂雄との対戦で、4打席連続三振を奪ったのである。長嶋は東京六大学新記録の8本のホームランを打って巨人に入団。前年、完全試合を達成した高校中退の金田正一、25歳、意地もあっただろう。始まったばかりのテレビ中継、日本中が見守る中、ゴールデンルーキーのバットが虚しく空を切るのである ◆小紙は生まれは九州・熊本の八代。少年時代、刈り取られた田んぼをグランドに、ボールを追いかけて育っている。グラブはないので、テニスボールと竹のバット。野球の神様、川上哲治の、人吉の生家に行って、野球が上手くなるおまじない、玄関の柱を撫で回す、これが楽しみだった。それが国鉄スワローズの金田正一との接点があるのだ。1959年、早稲田実業の王貞治が巨人に入団。翌年の1960年、小紙は高校の修学旅行で東京へ。宿泊の旅館が後楽園球場の近くだった。門限まで、巨人と国鉄のナイターを見て来ようと出かけて外野席。何と、ピッチャーは金田正一。バッター、4番長嶋茂雄。夢の対決を見たのである。長嶋茂雄、三振はしなかったが、確かレフトフライに討ち取られている ◆、国鉄と巨人で活躍、金田正一、400勝はプロ野球記録で、同時に298敗も最多記録である。通算奪三振4490、通算完投365、いずれにしてもこういうピッチャーはもう出てこないだろう。

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