戈を止む

戈を止む

「本来、武という文字は戈を止むると書し、平和を意味するものなり。名工岡崎正宗が刀を鍛える時の心中、常に平和を祈願していた、という」倫理御進講草案(杉浦重剛著)、武は戈を止む、武道の稽古の目的は心を鍛える、ということ、肝に銘ずるべし。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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令和元年9月3日

写真は秋の剣術・杖術講習会での審査

柳生宗厳

柳生宗厳

柳生宗厳、晩年或る事の為人に怨まれ、その者は如何にしても宗厳を討ち果たそうとしたが、隙がなかった。ある時宗厳は病気にかかって摂津の有馬に湯治に行った。某はひそかにその後をつけて行った。日夜動静を窺がう。やはり名人、隙がない。ある時まわりの付け人もいない、たった一人小刀を携えて南の日当たりのよいところ座って愛鷹の隼を拳に置いて可愛がっている。ここぞとばかり斬りつけた。その瞬間、宗厳は抜く手も見せず、腰の小刀を抜いて敵の急所を突いた。某はあえなくその場に斃れた。その時、柳生宗厳の拳の上の愛鷹、隼はもとのまま身動きもしなかった、という話しがございます。


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令和元年8月12日

労而不伐 有功而不徳 厚之至也  

 
眼柳島

眼柳島

古老茶話という書物がある。宮本武蔵、豊前の小倉で、佐々木眼柳という剣術者と同じ船になった。試合の話しに及んだ。それでは、と、武蔵は櫂を持ちながら岸に上がった。眼柳は武蔵が上がるところを横になぐる。すると武蔵の皮袴の裾を一寸ばかり切ってしまった。武蔵は持っていった櫂で眼柳をその船の中に打ちひしいだ。この時よりその島を眼柳島と名付けた。さらにその書物には「武蔵は一生の間に七十五度試合をして残さず勝っている」と書いてある。巌流島の決闘というのは、このような闘いだったのか? 実に面白い話しである。

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令和元年7月23日

写真は第41回全日本合気道少年錬成大会
日本武道館
令和元年7月14日

眼



本多平八郎忠勝

本多平八郎忠勝

本多平八郎忠勝は戦場では槍を取っては天下無双の勇将とも言われていた。ところが普段の槍術の稽古でははなはだ下手であったということだった。しかし、個人的には下手であったが、戦場に出て敵と戦う時は、その槍の働きは古今無双と称せられるというのは、知らぬ人には意外と思うよりほかはなかった、という話しがございます。

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令和元年7月1日

写真は第41回全日本合気道少年錬成大会
日本武道館
令和元年7月14日
耳くじり

耳くじり

写真は合気道青葉塾道場の道場演武  日本武道館

短い脇差を差していた侍があった。十二、三才の前立ちの少年がそれをみて、「耳くじりを差す」といっていつもせせら笑った。少年のことではあるが、毎度しつっこいので、その侍も堪忍袋の尾が切れて、その若衆を後ろ向きに膝に抱き上げた。「お前がいつもいって笑う耳くじり、お前の腹に通るか通らぬか、見てみろ」と、腹に突きたてた。少年、少しも騒がない。「その耳くじりではワシの腹は通らぬよ」といって、自分の長い脇差を抜き、自分の腹から抱いていた侍の腹まで突きぬいて二人ながら死んでいった、という話がございます。

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令和元年7月1日

写真は第57回全日本合気道演武大会
日本武道館
令和元年5月25日
結城朝村

結城朝村



結城朝村は射をよくしてかつて京都に赴いた頃、関白道家の邸に就いたが、その時籠の鳥が逃げて庭の木に止まってしまった。関白があれを射よというと、朝村は虚箭を飛ばして鳥に的てた。鳥は傷つかずに下へ落ちてきた。見るものは皆それを賞賛した、という話がございます。

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令和元年5月19日

写真は全日本合気道演武大会の演武の最終稽古。
義経流

義経流

義経流というのは勝負する様は右手に太刀をかざし左の手を差し出して敵に打たせておいて打つ。伝えには鞘に羽織とか手拭をかけて敵の面に打ちつけ、敵がそれを切り払うところを打つ。これは牛若丸が鞍馬山で天狗と試合をする絵によく似ている。そこからこの技が出ているのではないか、という話しがございます。(撃剣叢談)

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令和元年5月14日

写真は令和元年5月、最初の日曜特別稽古会 
全日本合気道演武大会の演武の稽古

山崎将監

山崎将監

山崎将監は中条流の名士で父は兵右衛門といった。年が十六歳の時だった。主君徳川忠直が父・兵右衛門に藩中の剣士たちとの試合を命じた。「私は既に年老いて、術もままなりませぬ。倅、将監に代役を願います」。それが相手の剣士たちをことごとく破ってしまった。忠直から大いに賞せられ、その後さらに精進し、将軍・秀忠から直属の家来として身近に置かれることになった、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
令和元年5月3日
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写真は平成最後の日曜特別稽古会


千葉新当斉

千葉新当斉

千葉新当斉、下総の佐倉の人。剣をもって一代に勝れたのみならず槍を取ったら宝蔵院流で鳴り響いていた。ある時、広い野原で槍を持って真中に立って矢を雨の如く射掛けさせた。降り来る矢を悉く地に落とした。見る人、人間業にあらずと舌を巻いた、という話しがございます。

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平成31年4月16日

写真は 平成31年4月21日    春の審査会

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