井上八郎

井上八郎

幕末の剣道家井上八郎、博徒8人に囲まれて正眼で戦ったが、思わしくない。やっとのことで切り抜けた。たかが博徒ではないか、と考え込んでしまった。遂に「こういう時は上段に限る」と悟った。翌日、また博徒に出会った。今度は上段に構えて、博徒が迫ってきて小手を斬ろうとしたとき、はじめて上段から打ち落とし打ち落として戦ってるうち、数人を倒して残りのものを逃げさらしてしまった、という話がございます。


本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成30年7月12日

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写真は全日本合気道演武大会 合気道青葉塾道場演武
京八流と鹿島七流

京八流と鹿島七流

京の兵法家鬼一法眼、軍法弓馬剣術をことごとく人に教え、鞍馬の衆徒八人に伝えた。剣術の京の八流というのはこの鞍馬八人の衆徒が伝えた流儀である。源義経もその八人の弟子の一人で、天狗に剣術を授かったというのは固より嘘である。関東七流は鹿島の神官から出たものである。凡そ剣術の流儀は京都八流、鹿島の七流より外はない。貝原益軒の「知約」という妙本にそう記されている、という話がございます。


本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成30年6月16日

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写真は合気道青葉塾道場 日曜特別稽古会  杖術の稽古

体験をご希望の方はまずお連絡ください。
6月21日(木) 18:30〜20:30
6月23日(土) 18:00〜20:00
6月17日(日) 14:00〜16:00

開始時間の前にお越しください。トレーニングウエアー上下がいいでしょう。両肘、両膝が隠れるもの。それではお待ちします。


写真は去年の全日本合気道少年錬成大会 日本武道館
今年も平成30年7月15日 日本武道館で行われ、合気道青葉塾道場は出場します。
片桐空鈍

片桐空鈍

片桐空鈍、無住心剣の針ガ谷夕雲の高弟で、師以上といわれた。極意は「相打ち」である。勝つな、負けるな、相打ちでいい、というのだ。武士が刀を抜く時は三度しかない。第一は「戦場」、第二は「上意討ち」、第三は「無法のことを仕掛けられた時」。人間は大抵弱いのだから、上手い下手のある剣道
を学んでも、何の役にも立たない。「近頃の剣術は、畜生剣術だ。浅ましい。自分だけ勝とうと、飛んだり、はねたり、見てはいられない」といって、道場では上段の一手しか教えなかったという。それでも門人は他の道場をはるかにしのいで、超満員だった、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成30年5月27日

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写真は合気道青葉塾道場 第56回全日本合気道演武大会 2018.5.26
 日本武道館  道場演武
勝海舟と白井亨

勝海舟と白井亨

勝海舟は島田虎之助門下で小野派一刀流の相当の使い手だった。ところが、ある時天真白井流の白井亨と手合わせる機会があった。全く手が出ない。海舟が「剣術はだいぶ修行したつもりですが、どうも手が出ません。猫の前の鼠のようです。どうしたものでしょうか」とたずねた。すると、「貴公は少しばかり剣術が見えるからよ。私をウリかカボチャと思って、無心になりなさい」といわれる。なるほどと、そこで海舟は悟りを開いた、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
平成30年5月17日
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男谷と島田

男谷と島田

男谷下総守と島田虎之助との試合を見たという人の話である。一礼して立ち上がって互いに気合を容れてじりじりとつけ込めば、一方はあとに圧迫される。一方が盛り返してつけ込むと、相手は反対に圧迫されること数回、遂に勝負を見ることは出来ず、相引となった。男谷先生が面を撮って、「いや、よい稽古にあずかりました、まいりました」と挨拶をすると、島田は顔面蒼白、口が利けず、殆んど卒倒せんばかりになっていたという、話がございます。

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平成30年5月6日
小太刀半七

小太刀半七

二代将軍秀忠が、小太刀半七というものが鉄扇で試合をすることに妙を得ていると聞いて、それには特別の術があるのかと訊ねると、「何の術もありませぬ。ただ試合をする時に何となく面白い心持が致すのが極意でございます」とこたえた。秀忠大いに感心して、「全ての戦に臨んでもその通り、面白しとさえ思えば恐ろしいことはなくななって、はかりごとも自ずから出て来るものである。心の持ち方だ。」と感心した、という話がございます。(三河物語)

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平成30年4月13日
武装と甲冑

武装と甲冑

昔の武士は剣術よりは、居合、抜き打ち、を専ら習った。鎧兜を着けているから刀を抜くというのは大変。だから念を入れたのだ。加藤清正が宇土を攻めた時、南条玄宅というものが三角角左衛門と槍を合わせた。後へ抜けた玄宅を、角左衛門の若党が、得たり、と額を斬った。玄宅は目がくらんだが、くるりと回って、刀を抜いて、その若党を胴斬りにしてしまった。その時、玄宅は居合い抜きがやれなければ、自分の身はたまらなかった、と言った…という話がございます。


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平成30年3月31日

空は満月 道場を覗く   菩提亭写多・撮影
相討ち

相討ち

徳川時代、幕府の御流儀として栄えた柳生流の教ゆる所の趣旨は相討ちなり。すなわち敵を斬ると同時に己ももまた敵刃に倒るる決心を持って打ち込むことを教ゆ。かくてこそ真の勝利を得るものなり(剣道の発達)。という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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中村一心斎

中村一心斎

中村一心斎、富士浅間流剣術の祖、である。元々久留米の藩士であるが、感ずるところあって富士山中の岩窟に篭って修行した人である。70歳を過ぎて水戸藩に試合を申し入れた。若者を相手に悉く勝利した。中でも水戸藩随一の使い手といわれた鵜殿力乃助とは勝負がつかなかった。老齢の身、三本勝負だったのだが、何しても恐るべき精力で、居合わせた水戸藩士たちを感嘆させた(剣術名人伝)、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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二の矢を持たぬこと

二の矢を持たぬこと

或る弓の道場に、弓を習いたいとやって来た。見ると二つの矢をたばさんで的に向かっている。道場の主がそれを見て、「初心の人は二つの矢を持たないほうがよろしい。後の矢を頼んで、初めの矢になおざりの心がある。毎度、ただこの一矢と定めて置けば得失がないものじゃ」。この言葉は万事にわたる面白い教訓である(武道初心集)、という話しがございます。

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