結城朝村

結城朝村



結城朝村は射をよくしてかつて京都に赴いた頃、関白道家の邸に就いたが、その時籠の鳥が逃げて庭の木に止まってしまった。関白があれを射よというと、朝村は虚箭を飛ばして鳥に的てた。鳥は傷つかずに下へ落ちてきた。見るものは皆それを賞賛した、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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令和元年5月19日

写真は全日本合気道演武大会の演武の最終稽古。
義経流

義経流

義経流というのは勝負する様は右手に太刀をかざし左の手を差し出して敵に打たせておいて打つ。伝えには鞘に羽織とか手拭をかけて敵の面に打ちつけ、敵がそれを切り払うところを打つ。これは牛若丸が鞍馬山で天狗と試合をする絵によく似ている。そこからこの技が出ているのではないか、という話しがございます。(撃剣叢談)

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令和元年5月14日

写真は令和元年5月、最初の日曜特別稽古会 
全日本合気道演武大会の演武の稽古

山崎将監

山崎将監

山崎将監は中条流の名士で父は兵右衛門といった。年が十六歳の時だった。主君徳川忠直が父・兵右衛門に藩中の剣士たちとの試合を命じた。「私は既に年老いて、術もままなりませぬ。倅、将監に代役を願います」。それが相手の剣士たちをことごとく破ってしまった。忠直から大いに賞せられ、その後さらに精進し、将軍・秀忠から直属の家来として身近に置かれることになった、という話がございます。

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令和元年5月3日
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写真は平成最後の日曜特別稽古会


千葉新当斉

千葉新当斉

千葉新当斉、下総の佐倉の人。剣をもって一代に勝れたのみならず槍を取ったら宝蔵院流で鳴り響いていた。ある時、広い野原で槍を持って真中に立って矢を雨の如く射掛けさせた。降り来る矢を悉く地に落とした。見る人、人間業にあらずと舌を巻いた、という話しがございます。

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平成31年4月16日

写真は 平成31年4月21日    春の審査会

浪およぎの刀

浪およぎの刀

伊勢の桑名の渡しでのこと。何者かが人を斬った。その斬られた者が斬られながら三間ばかりの波を泳いで岸に着いた。着いたら真っ二つになった。そこでこの刀を「浪およぎの刀」と名付けた。これが家康の手に入って重宝となった。のちに上総介忠輝に贈られた。忠輝はこの刀と茶道具の二品は死ぬまで話さなかった。その刀は「信国作」である。

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平成31年4月11日

写真は江戸城・千鳥が淵の夜桜
平成31年4月5日 撮影


山岡鉄舟

山岡鉄舟

山岡鉄舟がある日、友と歩いていた。そこに強そうな壮士が長い刀を帯び、高下駄をはいて肩で風を切って歩いてくる。友が「あいつが強いかどうか試してくる」と刀を抜いて前に立ちはだかった。双方、にらみ合いが始まった。そのままで打ち込む様子がないので近寄って見ると、両人とも凝り固まって動かない。ともかく両方怪我がなく、よかった。双方の刀を叩いてみたところ、からりと落としてしまい、「喧嘩はやめろ」というと、双方夢から醒めたようだった。後々、このことを山岡鉄舟は、「人間、平生は豪傑のように見えても死生の際に臨めば案外なものだ。普段から深い鍛錬を積まなければ何もならない」とよく話していた、という話しがございます。(山岡鉄舟伝)

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平成31年4月1日

写真は「いすみ鉄道」大多喜城と桜


戸田清玄

戸田清玄

戸田清玄は戸田流剣術の宗家である。人が試合を所望すると長袴をつけ一尺九寸五分の木刀を持って三尺の白刃と試合をした。何故かと、問うと、「礼儀の場でも刀を振るうということが無いということはない。そういう場合、身は長袴で小太刀一本のみである。急に臨んで袴の裾をからげたり、腰をとったりしている余裕はない。そういう場合を考えての服装である」、といったという話しがございます。

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平成31年3月5日



前原筑前

前原筑前

前原筑前という兵法家がいた。筑前を座敷の隅に置いて五,六人の人が扇を雨のように投げつけた。筑前は木刀で雨のような、蝶のような扇を打ち落とし、一つも我が身に触らせない。いくつものこよりを長押に吊っておいたものを木刀で切り落とした。兜を置いてそれを木刀で打ち砕いた、という話しがございます。(甲陽軍艦)


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平成31年2月22日
西郷南洲と勝海舟

西郷南洲と勝海舟

勝が西郷を評してこういっている。「西郷というやつは小さな奴には小さく取れるし、大きな奴には大きく取れる、そういう人物だ。竜馬がよく見ていた。西郷は馬鹿か、利巧かかわからない。大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る。底の知れねえ奴だ」とね。「あたしや天下万人を信じなくても、西郷だけは絶対に信じることができる」と言い切った。江戸城の無血開城をこの二人でやってのけた。

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平成31年2月15日


宮本武蔵

宮本武蔵

宮本武蔵は十三歳より人と剣法を試み、勝負を決すること六十余場、一度も不覚を取ったことは無い。必ず前もって、敵の眉八字の間を打たなければ本当の勝とは言えない、と言っていた。そしていつもその言葉の通りにして勝ってるのだ。(瓦礫雑考) 


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平成31年2月9日

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