浪およぎの刀

浪およぎの刀

伊勢の桑名の渡しでのこと。何者かが人を斬った。その斬られた者が斬られながら三間ばかりの波を泳いで岸に着いた。着いたら真っ二つになった。そこでこの刀を「浪およぎの刀」と名付けた。これが家康の手に入って重宝となった。のちに上総介忠輝に贈られた。忠輝はこの刀と茶道具の二品は死ぬまで話さなかった。その刀は「信国作」である。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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平成31年4月11日

写真は江戸城・千鳥が淵の夜桜
平成31年4月5日 撮影


山岡鉄舟

山岡鉄舟

山岡鉄舟がある日、友と歩いていた。そこに強そうな壮士が長い刀を帯び、高下駄をはいて肩で風を切って歩いてくる。友が「あいつが強いかどうか試してくる」と刀を抜いて前に立ちはだかった。双方、にらみ合いが始まった。そのままで打ち込む様子がないので近寄って見ると、両人とも凝り固まって動かない。ともかく両方怪我がなく、よかった。双方の刀を叩いてみたところ、からりと落としてしまい、「喧嘩はやめろ」というと、双方夢から醒めたようだった。後々、このことを山岡鉄舟は、「人間、平生は豪傑のように見えても死生の際に臨めば案外なものだ。普段から深い鍛錬を積まなければ何もならない」とよく話していた、という話しがございます。(山岡鉄舟伝)

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平成31年4月1日

写真は「いすみ鉄道」大多喜城と桜


戸田清玄

戸田清玄

戸田清玄は戸田流剣術の宗家である。人が試合を所望すると長袴をつけ一尺九寸五分の木刀を持って三尺の白刃と試合をした。何故かと、問うと、「礼儀の場でも刀を振るうということが無いということはない。そういう場合、身は長袴で小太刀一本のみである。急に臨んで袴の裾をからげたり、腰をとったりしている余裕はない。そういう場合を考えての服装である」、といったという話しがございます。

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平成31年3月5日



前原筑前

前原筑前

前原筑前という兵法家がいた。筑前を座敷の隅に置いて五,六人の人が扇を雨のように投げつけた。筑前は木刀で雨のような、蝶のような扇を打ち落とし、一つも我が身に触らせない。いくつものこよりを長押に吊っておいたものを木刀で切り落とした。兜を置いてそれを木刀で打ち砕いた、という話しがございます。(甲陽軍艦)


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平成31年2月22日
西郷南洲と勝海舟

西郷南洲と勝海舟

勝が西郷を評してこういっている。「西郷というやつは小さな奴には小さく取れるし、大きな奴には大きく取れる、そういう人物だ。竜馬がよく見ていた。西郷は馬鹿か、利巧かかわからない。大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る。底の知れねえ奴だ」とね。「あたしや天下万人を信じなくても、西郷だけは絶対に信じることができる」と言い切った。江戸城の無血開城をこの二人でやってのけた。

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平成31年2月15日


宮本武蔵

宮本武蔵

宮本武蔵は十三歳より人と剣法を試み、勝負を決すること六十余場、一度も不覚を取ったことは無い。必ず前もって、敵の眉八字の間を打たなければ本当の勝とは言えない、と言っていた。そしていつもその言葉の通りにして勝ってるのだ。(瓦礫雑考) 


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平成31年2月9日

千葉の剣法

千葉の剣法

千葉の剣法心得に曰く、「心意識という三要素あり、心とは全体に配る所、意とは左せん、右せんと案ずるところ、識とはいよいよ見定めて所思を行うところをいう。敵を打つには意の所を打つべし、俗に意は思いの起こる頭にて未だ迷いの存するなり。気は早く心は静か。身は軽く目は明るく業は激しく」。江戸の三大道場、千葉周作の剣の心構え、北辰一刀流の奥義といわれている。

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平成31年1月17日

写真は琴平神社 どんど焼演武  本多青仁斎靖邦の抜刀術
福島松江

福島松江

福島松江は儒者である。若い時、射、術、御、槍等を学んで熟達して、特に拳法に秀でていた。誰も学者とばかり見て、武術のことを知る者はなかった。ある時、盗賊が入った。松江はこれを捉えて路上へ放り出した。盗賊は命からがら逃げた、が三日経つと死んでしまった。松江が武術に秀でたこと誰も知るものが無いのに、自分でもそれを言ったことがなかった、という話がございます。

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平成30年12月30日

渋川友右衛門

渋川友右衛門

宝永より以後柔術では渋川友右衛門が傑出している。子は伴五郎といったが関口流を学んで関口伴五郎といった。三代目の伴五郎は柔術が甚だ不器用で父祖の業を継ぐことは出来まいとの評判であったが、それでも修行を少しも怠らなかった。そのためか、二三年するとはたはたと上達し、家名に恥じず優れた武術者になった、という話がございます。

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平成30年12月13日
一刀流の海保帆平

一刀流の海保帆平

一刀流の海保帆平がこういうことを言っている。突きを入れた時は、いつも向こう側の裏へ二三尺も突きぬく心持で突け。柔術の稽古では、人を投げるに畳の上に投げると思うてはとても人は投げられない。ねだを打ちぬき土の中に三尺も投げ込む心持で投げることだ。こちらから上段より向うの面を打つ時は必ず相手の肛門まで打ち割るという心持ちで打つものだ、と言ったという話がございます。(剣術名人伝)

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平成30年12月8日

合気道青葉塾道場 25周年記念演武会 記念手拭
植芝吉祥丸先生直筆 

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