武田鉄矢

武田鉄矢

ラジオ深夜便の10月号。武田鉄矢さんの対談が載っていた。九州弁、タバコ屋の倅、柔道やっていて見事な短足。わが前半生によく似ていて好感を持っている歌手、というより俳優。「幸福の黄色いハンケチ」でブレーク。高倉健。これはいい映画だった。その対談の後半で、年を重ねて来た今こそだから、夢中で合気道をやってるというのだ。私より6歳下、68歳、いい武道を選びましたね。何代目かの「水戸黄門」を演ずる。顔つきも穏やかになって、後半生、味わい深い生き方ですね。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou

合気道の稽古

合気道の稽古

合気道は難しく考えない。人間本来の自然の身体にもどす身体回復の武道。 武道も時代とともにかわる。今の時代にぴったり。 競技武道ではないというところに意義がある。 畳の上での身体の動き。 小笠原流礼法の姿勢の大本は武術。馬術によって身体の根本を作る。要するに自然体だ。合気道によって立ち居振る舞いの基本ができる。スポーツで筋肉を鍛えるのとは違う。礼法もやはり頭から入らない。感覚的なもの。武術による身体作りが礼法の基本。合気道をやればそういうものが自然に身に付くのだろう。


本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou








塚原卜伝

塚原卜伝

塚原卜伝は常陸国鹿島郡塚原村の人。卜伝の旅先での出来事。乗合の渡し船に乗った。中に逞しい壮士がいた。傍若無人、兵法の自慢をしていた。卜伝はあまりのことで、「貴殿はなかなかの兵法家のようだが、勝つことよりも負けぬようにすることだと思うが、いかがかな」など武術論議が、とうとう、お手合わせ願おう、と挑戦されてしまった。あの離れの小島ではどうだ。よろしい、と卜伝。島に飛び降りた自慢の男、3尺8寸の刀を抜いて、さあ来い。卜伝、応じるような構えをして、船頭の竿を借りると、船を島から遠ざけてしまって。「これぞ、無手勝流の奥義でござる」。塚原卜伝の武勇伝の一つとして語り継がれている。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou

清水次郎長

清水次郎長

駿河の国の侠客といえば清水次郎長。剣術は学んではいない。ところが真剣の場で一度も負けたことがなかった。当時、よく言っていたのが、敵と向かった時、相手が打ち込んで来る、相手の剣がこっちとかち合って音がする、その瞬間、一振り振って敵を斬るというのである。何故か、これで相手を切り倒せぬことはなかった。清水の次郎長、剣術極意、の一席である。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou








無心

無心

猿を飼ってる侍がいた。竹刀を持って突くと、飛び上がる。くぐり入ったり、竹の先をつかまえたりなどして、なかなか突くことが出来ない。或る日、猿をからかって突いてやろうと待ってるところに、急用があって家人に「もし」と声をかけられた。「なんだ」と返事しながら突くと、何の苦もなく突けた、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou

写真の刀は「兼友」、抜刀用に使っている。重い。重厚。





無眼流

無眼流

無眼流。この剣術が作られたのは一人の盲人がヒント。武者修行の途中、長い谷があってその渓流を渡る橋は丸木橋。簡単に渡れそうにない。どうしたものかと岩に腰掛けていると、一人の盲人がやってきた。どうするかな、と見てると、左右からその丸木橋を杖で探り何の苦もなく向こう岸に渡ってしまった。これだ!と手を打った。剣術も余計なものが見えるから動けない。見えないほうがいい、と眼をつぶって稽古をするという流派を作ってしまったという、話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou







二矢を持たぬ

二矢を持たぬ

弓矢の稽古をしてる時、二つの矢をたばさんで的に向かうと、それを見て師匠がこう言った。「初心の人は二つの矢をもたないほうがいい。後の矢を頼んで、初めの矢になおざりの心がある。毎度、この一矢と定めて置くと得失はないものじゃ」。このことは万事にあてはまる興味深い話である。


本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou

松林蝙也

松林蝙也

常州鹿島に松林蝙也という武人がいた。弟子たちと蛍狩りに出かける。すると一人の弟子が背後から出し抜けに肩を押した。蝙也はたちまち前の岸に飛び移って平然としている。これはスキがあれば襲えと言ってあるからだ。宴も終って家に帰ると先ほどの弟子がやって来た。「お前、何か失くし物はないか」。「いかにもそことです。大切なもの失くしました」。布団の下から白刃を取り出して、「これか?」と蝙也。押された瞬間に刀を抜いて飛んでいたのだ。これには弟子たちもその神速軽易の妙用に恐れ入ってしまった。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou



さとり

さとり

木こりが木を切り倒していると、変わった動物が現われた。角が一つで目が一つ。珍しい動物だ。これがさとりというんだな。捕えてやろう、と思った。すると、「おい、オレを捕まえるのか?無理だな」という。それからこっちの思うことがすべて悟られてしまう。これじゃあどうもこうも仕方ない。仕事にとりかかろう。無視して木を切ってると、斧が自然に飛びぬけてさとりの頭を打ち抜いてしまった。武術は無念無想になれば上等。武術の妙味はそこにあるという「さとり」のお話である。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou

嘉納治五郎

嘉納治五郎

講道館柔道の嘉納治五郎。なかなかの人物で日本古来の柔術をうまくまとめて世界の柔道に仕上げてしまった。初期の門弟は各派柔術の猛者である。西郷四郎は、会津藩、大東流柔術の流れを汲む。木村の前に木村なし、の昭和の柔道王、木村政彦は熊本の三大柔術、四天流、扱心流、竹内三統流を稽古していた。それをうまく講道館が。木村の師匠が、牛島辰熊。鬼の辰熊であり、これも柔術から講道館へ。嘉納治五郎は柔術の乱取りを試合形式にした。ここで武術である柔道がスポーツになってしまったのだ。嘉納治五郎、柔道をこういう形にしようとは思わなかった。ある年齢が来ると、高段者たちには、植芝盛平翁の合気道を勧めていたという話が残っている。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
http://www.ningenkobo.com/aikidou
<<prev 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 next>>