![]() 勝海舟と白井亨 勝海舟は島田虎之助門下で小野派一刀流の相当の使い手だった。ところが、ある時天真白井流の白井亨と手合わせる機会があった。全く手が出ない。海舟が「剣術はだいぶ修行したつもりですが、どうも手が出ません。猫の前の鼠のようです。どうしたものでしょうか」とたずねた。すると、「貴公は少しばかり剣術が見えるからよ。私をウリかカボチャと思って、無心になりなさい」といわれる。なるほどと、そこで海舟は悟りを開いた、という話がございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと 平成30年5月17日 http://www.ningenkobo.com/aikidou |
![]() 男谷と島田 男谷下総守と島田虎之助との試合を見たという人の話である。一礼して立ち上がって互いに気合を容れてじりじりとつけ込めば、一方はあとに圧迫される。一方が盛り返してつけ込むと、相手は反対に圧迫されること数回、遂に勝負を見ることは出来ず、相引となった。男谷先生が面を撮って、「いや、よい稽古にあずかりました、まいりました」と挨拶をすると、島田は顔面蒼白、口が利けず、殆んど卒倒せんばかりになっていたという、話がございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと http://www.ningenkobo.com/aikidou 平成30年5月6日 |
![]() 小太刀半七 二代将軍秀忠が、小太刀半七というものが鉄扇で試合をすることに妙を得ていると聞いて、それには特別の術があるのかと訊ねると、「何の術もありませぬ。ただ試合をする時に何となく面白い心持が致すのが極意でございます」とこたえた。秀忠大いに感心して、「全ての戦に臨んでもその通り、面白しとさえ思えば恐ろしいことはなくななって、はかりごとも自ずから出て来るものである。心の持ち方だ。」と感心した、という話がございます。(三河物語) 本多青仁斎靖邦のひとりごと http://www.ningenkobo.com/aikidou 平成30年4月13日 |
![]() 武装と甲冑 昔の武士は剣術よりは、居合、抜き打ち、を専ら習った。鎧兜を着けているから刀を抜くというのは大変。だから念を入れたのだ。加藤清正が宇土を攻めた時、南条玄宅というものが三角角左衛門と槍を合わせた。後へ抜けた玄宅を、角左衛門の若党が、得たり、と額を斬った。玄宅は目がくらんだが、くるりと回って、刀を抜いて、その若党を胴斬りにしてしまった。その時、玄宅は居合い抜きがやれなければ、自分の身はたまらなかった、と言った…という話がございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと http://www.ningenkobo.com/aikidou 平成30年3月31日 空は満月 道場を覗く 菩提亭写多・撮影 |
![]() 相討ち 徳川時代、幕府の御流儀として栄えた柳生流の教ゆる所の趣旨は相討ちなり。すなわち敵を斬ると同時に己ももまた敵刃に倒るる決心を持って打ち込むことを教ゆ。かくてこそ真の勝利を得るものなり(剣道の発達)。という話がございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと http://www.ningenkobo.com/aikidou |
![]() 中村一心斎 中村一心斎、富士浅間流剣術の祖、である。元々久留米の藩士であるが、感ずるところあって富士山中の岩窟に篭って修行した人である。70歳を過ぎて水戸藩に試合を申し入れた。若者を相手に悉く勝利した。中でも水戸藩随一の使い手といわれた鵜殿力乃助とは勝負がつかなかった。老齢の身、三本勝負だったのだが、何しても恐るべき精力で、居合わせた水戸藩士たちを感嘆させた(剣術名人伝)、という話がございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと http://www.ningenkobo.com/aikidou/aikidou1/aikinews.pdf |
![]() 二の矢を持たぬこと 或る弓の道場に、弓を習いたいとやって来た。見ると二つの矢をたばさんで的に向かっている。道場の主がそれを見て、「初心の人は二つの矢を持たないほうがよろしい。後の矢を頼んで、初めの矢になおざりの心がある。毎度、ただこの一矢と定めて置けば得失がないものじゃ」。この言葉は万事にわたる面白い教訓である(武道初心集)、という話しがございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと http://www.ningenkobo.com/aikidou |
![]() 加藤右計 明和のころ加藤右計という柔術の達人がいた。ある時、柔術家に試合を望まれた。「それは無用なことだ。柔術の試合は最後どちらかが死ぬよりほかはない」。どうしてもというから立ち会った。その男、組み付くと直ぐ投げられて、壁を打ち抜いてその身は外へ飛び出して、即死。「是非というから立ち合ったがこのざまだ。だがこの男もたいしたもので、投げた時、当身で拙者のあばらを打ち砕いている」と肌をぬいで人に見せたところ、肋骨が一本折れたいた、という話がございます。「甲子夜話」より 本多青仁斎靖邦のひとりごと 合気道青葉塾道場機関紙「あしなみ」 http://www.ningenkobo.com/aikidou/aikidou1/aikinews.pdf |
![]() 針の妙術 上遠野伊豆という人があった。武芸に達した上にわけて独流の手裏剣を工夫してその妙を極めていた。その方法は針を二本、中指の両側に挟んで投げ出す。思うところに当てないということはなかった。この妙技、この人一代だった。「元来この技は人に教えられたことではないから、何と伝うべきか由もない。ただ、根気よく二つの針を手につけて、打ってる間に、自ずから自得したまでのことである」、と云った… という話がございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと 平成30年2月11日 合気道青葉塾道場機関紙「あしなみ」 http://www.ningenkobo.com/aikidou/aikidou1/aikinews.pdf 第32回剣術・杖術講習会の講習風景 |
![]() 宮本武蔵 日本剣道史 宮本武蔵がある夜、庭の涼み台に腰を掛け、団扇を持って涼んでいた。そこへ門弟の一人が武蔵の腕を試そうとして、不意に短刀を提げて涼み台に飛び上がって来た。その瞬間、武蔵はツト立ち上がりざま、ゴザの片側を掴んでぐっと引き寄せた。弟子はまっさかさまに倒れて落ちた。武蔵は何も騒ぐことなく平然としていた、という話がございます。 本多青仁斎靖邦のひとりごと 平成30年1月19日 合気道青葉塾道場機関紙「あしなみ」 http://www.ningenkobo.com/aikidou/aikidou1/aikinews.pdf |
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