ノムさん逝く

「勝ちに不思議の勝あり 負けに不思議の負けなし」。ノムさんが逝くとこの言葉が走り出した。肥前平戸藩の松浦静山の著「甲子夜話」の中にあるんだが、プロ野球の名選手、名監督、野村克也がよく口にしていた。そのノムさんこと野村克也、2月11日、82歳で亡くなった。面白い人物だった。王、長嶋は「ひまわり」、俺は日陰の「月見草」。これは名言だった。カネやん、ノムさん、いなくなる日本のプロ野球、どうなるのか。寂しい。

如月や 不思議の負けなし 野村逝く       無得庵是空

至道無難 山波平九朗
令和2年2月13日



よくやった炎鵬

大相撲初場所、15尺の土俵を縦横無尽に動き回り、大男を投げ飛ばして、勝ち越しの8勝7敗。炎鵬はよくやった。横綱二人、途中休場、あの二人の蒙古はもういい。徳勝龍、33歳、幕尻優勝、沸かせた。ただ炎鵬に技能賞なし、これ何?千秋楽、輝との一番、あれは行司、仕切り直しだぞ! 炎鵬の動き、これが武術の奥義。

初場所や 炎鵬縁なし 技能賞       無得庵是空

至道無難 山波平九朗
令和2年1月30日


寒稽古

合気道青葉塾道場では1月、2月のすべての稽古日を寒稽古としている。大寒の前後の短期間ではない。寒さに挑戦して道場に通う、淡々と平常心、当たり前のことを、いつでもどこでも、やっていく。稽古、これは寒いからどう、暑いからどう、ということではない。普段通りやっていくのが稽古、なのだから。

稽古とは 吾と戦う 寒復習(かんざらい)      無得庵是空

至道無難 山波平九朗
令和2年1月24日



どんど焼 演武会

もう12年になる。琴平神社のどんど焼で武道の演武を続けている。燃え落ちるのを待って餅を焼き始める。その間、30分ぐらいの時間がある。そうだ、その間、抜刀術でもやったらどうだろうか?と宮司に持ち掛けた。それが実現。定着した催しになった。合気道青葉塾道場の剣術・杖術、柳生新陰流、明府真影流手裏剣術、で演武を続けている。燃え上がる火と炎、その中は別世界。別に是一壺の天である。

左義長や 常に磨けよ 吸毛剣        無得庵是空

至道無難 山波平九朗
令和2年1月17日


稽古納め

合気道青葉塾道場創立45周年記念の青葉武道演武大会が終ると、稽古納めまで早い。一気に来てしまった。道場にとってこれが正月行事のようなもの。いいけじめになる。今年の流行語大賞は「ワンチーム」。ワールドカップの日本の活躍に燃え上がった。スポーツの原点は「戦(いくさ)」。合気道の稽古を通じて道場が一つになるというそこに稽古の意味がある。令和元年がもうすぐ終わる。

ワンチーム しばらく残るや 年の内        無得庵是空

令和元年12月20日
至道無難 山波平九朗

青葉武道演武大会

いよいよ合気道青葉塾道場創立45周年記念、第14回青葉武道演武大会、だ。11月23日、45年前、道場作るという、話し合いが行われた。畳15畳のマンションの集会室。明けて2月3日、植芝吉祥丸道主をお招きして道場開き。よく続いたものだ。武道のノーサイドは礼、だ。稽古の始めに礼、終わったら礼。何も残さない。

始まりと 終わりに礼なり 秋の風     無得庵是空

令和元年11月13日
至道無難 山波平九朗



秋の合気道審査

年に二度の合気道審査。春と秋。明日、10月27日は令和元年秋の審査。講習会の後、それぞれの審査。普段の稽古が重視される。師匠は己、なんだから、技は工夫する。講習会を受ければいいというものではない。技は、自然に身につく。結果、上手い、下手、ではない。

それぞれに 一壺の天あり 秋の雲       無得庵是空

令和元年10月26日
至道無難 山波平九朗


闘球

ラグビーの歴史は長い。野球、ベースボールはアメリカの南北戦争、その時期に生まれた。日本では戦後この野球がスポーツの中心。闘球、ラグビーはどうも日本人には馴染まなかった。ところが今回の大会、15人が一つになって闘うラグビーが、日本人を引きつけた。ブームがやって来る、その予兆を感じ取る。

惹きつける 闘うボールや 秋出水      無得庵是空

令和元年10月14日
至道無難 山波平九朗

手段は変わらない

武術を習得する過程、手段はずっと変わらない。武術が生まれたというのは太古の昔。まわりのいろいろなものは大きく変わった。どんどん便利になる。歩いていたものが、籠になり馬になり、自動車、汽車、電車、船、飛行機になった。人そのものの動きは元のまま。動かないから衰える。武術は人の動きの原点を鍛えるもの。その手段は太古の昔からかわらない。だから武術修行の意義が出て来る。

武術修行 手段変わらぬ 晩翠忌        無得庵是空

令和元年10月4日
至道無難 山波平九朗

己が師匠

武術は古い過去のものではない。現代に生きている。昔の日本人のような素早い動きを身につけるためではない。カッコいい投げる型を目指すのではない。道場に通うことで技を取得していくために己が師匠になる。工夫をする。繰り返すことの積み重ね。教わろうと思うな。師は己、である。

道に入る 己が師匠ぞ 星今宵           無得庵是空

令和元年9月24日
至道無難 山波平九朗

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