循環如無端 武術から学ぶのは「捨てる」ということだろう。溜め込んではいけない。呼吸は吸い込むのではなく「吐く」ことだ。これは生きていく上での啓示でもある。何でも取り込んでしまわない。「循環如無端」。循環端なしが如し、である。 本多青仁斎靖邦のひとりごと 令和5年9月21日 |
三年先の稽古 相撲の世界ではなるほどと思わせるいい言葉がある。「三年先の稽古」というもの。目先にとらわれず基本をしっかり身につけろ、ということだ。稽古の出典は「書経」で、「古の帝堯を稽(かんが)ふるに…」というところから出ている。稽古はそこから「昔の」ことを考える、学問をする、学習をする、考えて積み重ねる、となった。武蔵の言葉に「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」というのがある。相撲界のある重鎮の言葉、「相撲取りの身体は一種の芸術品だ。ただ、それは出来上がったすばらしさだけでなく、作り上げるまでの厳しい稽古、鍛錬、それを見るべき、だろう」(大相撲こてんごてん 半藤一利著)という、稽古の話があります。 本多青仁斎靖邦のひとりごと http://www.ningenkobo.com/aikidou 令和5年9月15日 |
武術的身体能力 居合はマニュアルどおりにやらないで、基本を身につけたら、自由に振る。 これが性に合っている。振り下ろした剣先は何センチだと決め付ける、そういうところもあるが。真剣を振る、身体の使い方、それを少しずつ身に付けていく。それだけでいい。 真剣を 抜く払い納む 秋浅し 令和5年9月13日 |
文と武 歳とともに下半身、股関節が固まってくる。これは子供のようにもどらない。柔らかくしようとおもってそうなるのは心。天真爛漫。融通無碍。それは禅の世界だろう。究極、武術は、禅が大半をしめる。 文と武 戈を止めて 秋の空 無得庵是空 令和5年9月12日 |
型 型武道の奥の深さ。簡単な技でも繰り返えし練磨しないと身につかない。ひたすらに、である。 一を以て 之を貫く 秋燕 無得流俳句 無得庵是空 令和5年9月11日 |
動きが消える 武術の動きは本来自然のもの。力ではない。筋肉を使ったスピードではない。超高速自然体。稽古はそれを追及する。 武術には 消える動きあり 鰯雲 無得庵是空 令和5年9月1日 |
剣と禅 道場を作った年、昭和48年、大森曹玄の「剣と禅」を読んだ。それを毎朝10分づつ、朝の読書としてまた読み始めた。この方の道場に行った事がある。高歩院。直心影流の道場だった。この剣術は勝海舟が学んでいる。高歩というのは山岡鉄舟の号。禅道場でもある。 浩然と 志は気の師なり 秋の雲 無得庵是空 令和5年8月30日 山波平九朗 |
柔らかな動きを 合気道は年齢によって稽古の方法を変えたらいい。中学生、高校生のような瞬発力は歳とともに消えてゆく。ある年齢になったら武術の持つ緊迫感は秘めながら、柔らかくゆったりとした動きを繰り返す。力は抜く。 居合とは 近間の弓なり 青蜥蝪 無得庵是空 木曜日は 居合刀を使って 居合の稽古 令和5年8月29日 山波平九朗 |
剣を振る 合気道の身体作りに剣・杖を振る。とにかく振る。スポーツの基本が走ることと同じ。武術の基本は日本刀。まずこれをこなさなければ。体術の身体にはならない。まず振る。 十薬や 古今に二路無し 剣の道 無得流俳句 無得庵是空 令和5年7月6日 山波平九朗 |
間とは魔 間とは魔。相手との距離は目に見えないモノ。眼では測れない。武術はそれをつかむために稽古を繰り返す。自然体になること。力はいらない。 間合いとは 遠近にあらず 梅雨の闇 無得庵是空 令和5年6月15日 山波平九朗 |
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