気の概念は中国から。気は古来日本武術の根幹をなす。気を出す、出せ、はそれを意識せよということ。物事は心が先。書家の筆、紙の上に墨気があきらかに出るもの。合気の気、だ。

墨に気が 墨気というなり 秋の暮          無得庵是空

令和5年10月16日
山波平九朗

少欲知足

随分前のひとり稽古と抜刀のVTRを見ている。技というのは目に見えてうまくならないものだ。今と何にも変わってない。それでも、少しずつ、少しずつ、である。それが修行。

欲はなく 足るを知るなり 柿紅葉           無得庵是空

令和5年10月3日
山波平九朗

合気道と杖道


合気道と同時に杖道を稽古するというのはいい。杖はいつでも出きる。どこでもいい。二人いれば太刀と杖で理合ができる。それにはまず基本。これがいいのだ。小さい子でもできる。ご年配でも楽しめる。木曜稽古会は2時間これを続ける。

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柔らかく

柔術は相手を柔らかく包み込んでしまう術。力を抜くというのがいかに難しいか。

柔らかい 動きで制すや 秋の雲           無得庵是空
令和5年9月29日
山波平九朗

日本刀


日本刀は不思議な神秘的な武器だ。その日本刀で斬るという行為は、前と後の自分が変化する。斬ったあと何かが変わっている。

構えあって 構えなしや  薄紅葉        無得庵是空
令和5年年9月28日
山波平九朗

循環如無端


武術から学ぶのは「捨てる」ということだろう。溜め込んではいけない。呼吸は吸い込むのではなく「吐く」ことだ。これは生きていく上での啓示でもある。何でも取り込んでしまわない。「循環如無端」。循環端なしが如し、である。

本多青仁斎靖邦のひとりごと

令和5年9月21日

三年先の稽古

相撲の世界ではなるほどと思わせるいい言葉がある。「三年先の稽古」というもの。目先にとらわれず基本をしっかり身につけろ、ということだ。稽古の出典は「書経」で、「古の帝堯を稽(かんが)ふるに…」というところから出ている。稽古はそこから「昔の」ことを考える、学問をする、学習をする、考えて積み重ねる、となった。武蔵の言葉に「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」というのがある。相撲界のある重鎮の言葉、「相撲取りの身体は一種の芸術品だ。ただ、それは出来上がったすばらしさだけでなく、作り上げるまでの厳しい稽古、鍛錬、それを見るべき、だろう」(大相撲こてんごてん 半藤一利著)という、稽古の話があります。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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令和5年9月15日

武術的身体能力

居合はマニュアルどおりにやらないで、基本を身につけたら、自由に振る。
これが性に合っている。振り下ろした剣先は何センチだと決め付ける、そういうところもあるが。真剣を振る、身体の使い方、それを少しずつ身に付けていく。それだけでいい。

真剣を 抜く払い納む 秋浅し          

令和5年9月13日

文と武

歳とともに下半身、股関節が固まってくる。これは子供のようにもどらない。柔らかくしようとおもってそうなるのは心。天真爛漫。融通無碍。それは禅の世界だろう。究極、武術は、禅が大半をしめる。

文と武 戈を止めて 秋の空             無得庵是空

令和5年9月12日




型武道の奥の深さ。簡単な技でも繰り返えし練磨しないと身につかない。ひたすらに、である。

一を以て 之を貫く 秋燕      無得流俳句   無得庵是空

令和5年9月11日
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