未来学 こうも物があふれ便利な時代になると、人間は動物や植物のように自然の一部であることを忘れてしまう。身体を使わなくなる。使わないと劣化してしまう。武術を学ぶこと、これは未来を学ぶことだ。身体の動かしながら過去に思いをはせ、そこから未来を覗く。未来がよく見える。 笙の音や 武術の秘伝 酔芙蓉 無得流俳句 無得庵是空 写真 木曜稽古 菩提亭写多・撮影 平成25年8月30日 至道無難 山波平九朗 |
大東流 合気道のルーツは甲斐の国にありという。武田源氏の祖は新羅三郎源義光。弓馬の道に優れ、笙の名手でもあった。京から甲斐の国に入る時、足柄峠で伝承したという逸話が残る。その新羅三郎が伝えた武術が大東流合気術。武田滅亡後、保科正之を通じて会津にわたる。その大東流を学び合気道として世に出したのが植芝盛平翁。大善寺での合宿はそこに意味がある。 甲斐武田 合気発祥 日取虫 無得流俳句 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦の稽古指導 菩提亭写多・撮影 平成25年8月24日 至道無難 山波平九朗 |
合宿の朝稽古 合宿の朝稽古。5時30分、138段の階段を昇って国宝・薬師堂の境内まで。そこで剣術・杖術の単独動作。型稽古。終ってドッジボールとフットベースボール大会。朝のしじまのなか、盛り上がる。そのあとおいしい朝食。一日の始まりです。 一振りに 山の気 一閃 秋涼し 無得流俳句 無得庵是空 写真 杖と太刀 朝稽古 菩提亭写多・撮影 平成25年8月20日 至道無難 山波平九朗 |
富士登山 今年も富士山に挑戦。4月で満70歳。去年は古稀登山。数えの70だった。馬返しから歩いた。5合目までの樹林帯はいいが、長い。来年は5合目まで車で行って、もっと上の小屋に泊まろうと思った。ところが世界遺産に登録された。記念すべき年なのだからやはり下からにした。天候不順の中、ご来迎は奇跡。何か縁があるのだろう。 足運び 超自然体や 富士詣 無得流俳句 無得庵是空 写真 7月30日 午前11時 山頂 菩提亭写多・撮影 平成25年8月5日 至道無難 山波平九朗 |
勝海舟 武術にまっしぐら、これは子母澤寛の「勝海舟」の影響が大。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のあとすぐ読み出す。「俺が生涯で一番真剣にやったのは剣術だけだ」。ただあの明治維新の動乱の中、刀は一度も抜いてない。刀傷は20箇所。明治の半ば76歳の天寿を全うした。講道館の嘉納治五郎の後見人でもあった。回顧録「氷川清話」は小気味よい。 武術とは 終生修行 夏の富士 無得流俳句 無得庵是空 写真 ひとり稽古 本多青仁斎靖邦 菩提亭写多・撮影 平成25年7月24日 至道無難 山波平九朗 |
超自然 武術は命のやりとりで、相手の動きをどう扱うか、である。しなやかさ、やわらかさ、自然に身体が対応する。筋肉のスピードではない。ある年齢がいってもその動きは確かなものでなければならない。武術の身体応用の先には心の鍛錬がある。速さは超自然でなければならない。武術の行き着くところは禅の世界だ。 短夜や 自然の動きを 超えるもの 無得流俳句 無得庵是空 写真 剣の先には? 本多青仁斎靖邦ひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成25年7月20日 至道無難 山波平九朗 |
備前長船 愛刀は備前長船祐高、慶応二年二月に作られた。所持して1年以上はたつ。それが最近私の身体の中でうごめき始めた。この刀は動乱の真っ最中に世に出てきた。翌年10月が王政復古。明けて鳥羽伏見の戦い。戊辰戦争に突入する。このあたりの歴史が私に語り始めて来る。最初に所持していた武士は徳川家にかかわるもののようだ。盛んに私を引き込んでいく。 秘伝とは 釣鐘草の 下にあり 無得流俳句 無得庵是空 写真 備前長船祐高とひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成25年7月18日 日々是好日 山波平九朗 |
大東流合気柔術 合気道のルーツは会津藩の最後の家老・西郷頼母にありというが史実ではなさそう。剣術家・武田惣角に「これからは剣術ではない」と会津藩秘伝の大東流合気柔術を薦めたのだという。大東流というのは甲斐・武田に発祥する。これを北海道で学んだのが合気道の祖・植芝盛平翁。師は武田惣角。その大東流合気柔術は会津で育まれたのか?武田惣角のオリジナルなのか?はっきりわからない。謎。 ひとり振る 斬り付け血振り 梅雨明ける 無得流俳句 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成25年7月10日 至道無難 山波平九朗 |
巌流島の決闘 昭和40年封切、宮本武蔵「巌流島の決闘」をBSで見る。武蔵・中村錦之助、小次郎・高倉健。映画衰退の始まりの頃。豪華俳優人。巌流島の二人の対決に迫力。吉川英治の「宮本武蔵」は高校時代むさぼり読む。我が武道の原点なり。 映画観る 武蔵巌流 送り梅雨 無得流俳句 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成25年7月6日 至道無難 山波平九朗 |
居合道春秋 居合道を志したのは合気道入門後、3年経った昭和48年6月。加茂治作著「居合道入門」購入し直接電話して道場を紹介してもらった。杉並にあるという。大村唯次という方の道場だった。ご高齢で半年後亡くなられた。そこで稽古は終了する。再開するのは28年後。現在は独自の身体作りの稽古法で真剣をひたすら振っている。 七月や ひとり稽古の 腕の振り 無得流俳句 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成25年7月3日 至道無難 山波平九朗 |
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