ひとり稽古 武術は自得することだ。ひとりで納得するまで繰り返す。それには居合と杖術はいい。ひとりでできる。やっていてよかったとおもっている。 型稽古 自然の動きを カネタタキ 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦の土曜稽古前のひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成23年10月2日 山波平九朗 |
茶道と武道 現在の茶道にどうも馴染めない。何回かお茶会に出たが、形骸化していると思った。利休の追及した茶道は時代に合わせたもの。お茶の道を大改革した人だ。茶道はもっと今の時代にあったあり方を考えるべきだろう。武道もそうだ。桑田忠親著「茶道の歴史」を読んで共鳴した。 茶の歴史 利休秀吉 秋時雨 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦の居合のひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成23年10月1日 山波平九朗 |
居合術 どうも居合道というのは独立した武道ではないようだ。剣術を学ぶ過程で、刀に身体が馴染むためのもの。日本刀を振ることは心身一如の境地を体得できる。身体が変化してくる。剣術、杖術、居合術、体術(合気道)、平行してやっていくもの。 居合術 型のみにあらず 秋の蝉 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦の居合道 菩提亭写多・撮影 平成23年9月30日 山波平九朗 |
心を鍛える 眼前に敵が抜き身を振りかざして斬りつけてきた、それをどうするかが武術であるという。自己否定から始る。心身は柔らかく。それを作り上げるのが修行。身体を動かすだけではない。心の練磨を。 秋風や 隠然たる和気 武術なり 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦の杖 ひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成23年9月29日 山波平九朗 |
剣と禅 道場を作った年、昭和48年、大森曹玄の「剣と禅」を読んだ。それを毎朝10分づつ、朝の読書としてまた読み始めた。この方の道場に行った事がある。高歩院。直心影流の道場だった。この剣術は勝海舟が学んでいる。高歩というのは山岡鉄舟の号。禅道場でもある。 浩然と 志は気の師なり 秋の暮 無得庵是空 写真 昨晩、ひとり稽古。本多青仁斎靖邦 菩提亭写多・撮影 平成23年9月28日 山波平九朗 |
武とは 身体を柔らかくするためには心がそうなければ。ただなんとなくやっているだけでは武術は意味がない。身体を練るのと同時に心も練る。剣と禅は一如である。 武というは ほこを止むと 秋の声 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦 大善寺合宿にて 菩提亭写多・撮影 平成23年9月27日 山波平九朗 |
静と動 武道の今日的意義。エコの時代がやってきた。武道は動きの無駄をそぎ落として行く。自然にシンプルに。そういう身体と心になるように、素直な稽古を続ける。 静と動 陰と陽という 星月夜 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦の型 菩提亭写多・撮影 平成23年9月26日 山波平九朗 |
修行 落語で、先生というのは、「先ず生きている」と読むんだ、と笑わせていた。修行中は師も弟子もない。目線はいつも同じ。己を鍛えるのに上も下もない。 技を取得するだけではない。その前に人間修行だ。 力抜き 自然の動きや 法師蝉 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古 菩提亭写多・撮影 平成23年9月25日 山波平九朗 |
演武会 青葉武道演武大会は11月23日。第6回目となる。他武道の応援演武も行われる。学んだ技を人前で演武するのも型武道の宿命。自然の動き。これは稽古の積み重ねしかない。 たどり来ても まだ途上なり 秋の雲 無得庵是空 写真 本多青仁斎靖邦の演武 菩提亭写多・撮影 平成23年9月24日 山波平九朗 |
克己心 シンプルな道衣。2本の棒のようなもの。何の飾りもない道場。この空間にこころがある。通う回数が多いほどその心の強さを測れる。武道とはそういうもの。 己に克つ これは修行なり 野分雲 無得庵是空 写真 夏合宿の稽古 菩提亭写多・撮影 平成23年9月22日 山波平九朗 |
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