臣茂 銅像

5月26日は第51回全日本合気道演武大会。開場まで日本武道館の周りをぐるりと並ぶ。年々列が長くなる。最後尾のところに吉田茂の銅像。天皇の立太式で「臣・茂」と読み上げて話題になった。昭和27年である。

臣茂 ここにおわすや 若葉風      無得流俳句 無得庵是空
写真 青葉塾道場の演武          VTRの静止画像

平成25年5月27日
至道無難 山波平九朗


心身一如

この歳になると剣を振るのが身体と心の鍛錬にいい。もう70。筋肉は鍛えてももう限界だろう。ところが気持は止らない。まだまだ前進。剣と心がひとつになる。さらにそれが老躯を刺激する。真剣を振るひとり稽古。心身にいい。

七十路(ななそじ)の 剣の捌きや 夏衣    無得流俳句 無得庵是空
写真 夏物の道衣 ひとり稽古          菩提亭写多・撮影

平成25年5月22日
至道無難 山波平九朗

日本刀

備前長船久山佑高。慶応2年2月に作られた。その直前、坂本竜馬が襲われた寺田屋事件が起きている。かたなの「な」は刃のこと。片方の刃を「刀」という。この「刀」、備前物を最近持ち出して振る。人が変わる。前の所有者の意が引き継がれ、その時代が身体にしみ込む。

振れば知る 日本刀(かたな)の神秘 五月風   無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦の「日本刀」         菩提亭写多・撮影

平成25年5月20日
至道無難 山波平九朗

日本刀

日本刀は不思議だ。単なる武器ではない。鉄鋼を精製するのではない。自然の中の砂鉄から生んで行く。人間と同じ自然からの出生で刀の細胞がずっと生き続ける。差した人の運命をともにする。その時代の動きも吸収し次の主にすべて伝える。戦後アメリカ軍はこの日本刀を恐れた。日本人から放してしまおうと企んでいる。日本人の魂を抜いてしまおうとした。

身と心 剣禅一如 若葉風     無得流俳句 無得庵是空
写真  本多青仁斎靖邦の真剣    菩提亭写多・撮影

平成25年5月16日
日々是好日 山波平九朗



備前長船

このところ居合の型は模擬刀を使っていた。軽くて樋があるからひゅっと鳴る。これが心地いいのだ。つい甘えてしまった。逆に緊張感が消えた。根気がなくなる。よし、とこの日慶応2年2月製造の備前長船を使った。ずっしりと重い。これだ!緊迫する。10分ずつ四本。一気に。じっとりと汗が。

夏めくや 気迫がこもる この一振     無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古       菩提亭写多・撮影

平成25年5月13日
至道無難 山波平九朗


演武大会

5月になった。合気道は月末に恒例の全日本合気道演武大会。第51回大会。日本武道館だ。青葉塾道場は第15回大会から連続出場。演武会の開場が日本武道館になった年だった。試合がない武道は演武がおのれを試す場。準備を怠るな!

修行には 依枯の心なし 五月雨     無得流俳句 無得庵是空
写真  本多青仁斎靖邦のひとり稽古     菩提亭写多・撮影

平成25年5月11日
至道無難  山波平九朗

武士道

また新渡戸稲造の「武士道」を読み始める。奈良本辰也の訳がいい。もともとこれは英語で書かれている。日本にはこれという宗教がないのか、と向うの人に驚かれて、武士道をぼんやりと思い描く。日本人の支柱になってるものとして「武士道」をまとめる。日露戦争が終ったころのこと。アメリカのルーズベルト大統領はこの本に感銘。知人に配ったという。蘇れ日本。

道場に 満月あらわれ 春惜しむ     無得流俳句  無得庵是空
写真  本多青仁斎靖邦のひとり稽古    菩提亭写多・撮影

平成25年4月27日
至道無難  山波平九朗




どうじょうに

居合の修行

武術は歳を超越する。合気道の研究のため居合を続けている。宮本武蔵は死ぬ間際、刀を抜いて居合の構えをして事切れたという逸話が残っている。居合は回春のための武術として武人たちの間でひそかに続いていた。それが型の優劣を競う競技化して本来の居合がどこかへ行ってしまった。今日、4月24日で70歳。まだ武術の修行は続く。

ひとり稽古 剣の音する 暮の春       無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古       菩提亭写多・撮影

平成25年4月24日
至道無難  山波平九朗

二刀流

武蔵の二刀流の思想はやはり常人の域を超えている。二刀流とは竹刀剣道の大小二つを使う試合ではない。兵法である。戦場で刀は両手を使うとは限らない。片手の機会が多い。普段の稽古は両方も使う。いざという時片手がさっと使える。さらに刀が両手から離れても普段どおり対峙する。武術の心構えは死を恐れないということ。

目付けには 観と見あり 春の宵      無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古      菩提亭写多・撮影

平成25年4月13日
至道無難 山波平九朗



合気道に出会って「気」を知った。それまで漠然と「気」というものをとらえていた。合気道の道場で先輩方がさかんに「気」を出せといわれる。25歳で大病をしている。「気」は自ら出すものか、と1年前の大病の因に気づいた。浩然の気。元気も天気も景気も「気」である。

道において 死をいとわずや 雪解川     無得流俳句 無得庵是空
写真  本多青仁斎靖邦のひとり稽古      菩提亭写多・撮影
平成25年4月12日
至道無難 山波平九朗

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