武士道

また新渡戸稲造の「武士道」を読み始める。奈良本辰也の訳がいい。もともとこれは英語で書かれている。日本にはこれという宗教がないのか、と向うの人に驚かれて、武士道をぼんやりと思い描く。日本人の支柱になってるものとして「武士道」をまとめる。日露戦争が終ったころのこと。アメリカのルーズベルト大統領はこの本に感銘。知人に配ったという。蘇れ日本。

道場に 満月あらわれ 春惜しむ     無得流俳句  無得庵是空
写真  本多青仁斎靖邦のひとり稽古    菩提亭写多・撮影

平成25年4月27日
至道無難  山波平九朗




どうじょうに

居合の修行

武術は歳を超越する。合気道の研究のため居合を続けている。宮本武蔵は死ぬ間際、刀を抜いて居合の構えをして事切れたという逸話が残っている。居合は回春のための武術として武人たちの間でひそかに続いていた。それが型の優劣を競う競技化して本来の居合がどこかへ行ってしまった。今日、4月24日で70歳。まだ武術の修行は続く。

ひとり稽古 剣の音する 暮の春       無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古       菩提亭写多・撮影

平成25年4月24日
至道無難  山波平九朗

二刀流

武蔵の二刀流の思想はやはり常人の域を超えている。二刀流とは竹刀剣道の大小二つを使う試合ではない。兵法である。戦場で刀は両手を使うとは限らない。片手の機会が多い。普段の稽古は両方も使う。いざという時片手がさっと使える。さらに刀が両手から離れても普段どおり対峙する。武術の心構えは死を恐れないということ。

目付けには 観と見あり 春の宵      無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古      菩提亭写多・撮影

平成25年4月13日
至道無難 山波平九朗



合気道に出会って「気」を知った。それまで漠然と「気」というものをとらえていた。合気道の道場で先輩方がさかんに「気」を出せといわれる。25歳で大病をしている。「気」は自ら出すものか、と1年前の大病の因に気づいた。浩然の気。元気も天気も景気も「気」である。

道において 死をいとわずや 雪解川     無得流俳句 無得庵是空
写真  本多青仁斎靖邦のひとり稽古      菩提亭写多・撮影
平成25年4月12日
至道無難 山波平九朗


自然体

合気道は無理をしない。無理に力を使わない。自然体。いつでも身体を自然に動けるようにしておく。私の自然体を維持していく稽古法は居合道。これはちょっとした空間があればいつでもOK。1時間も集中すれば心身さわやか。

さんかくまる しかくの原理や 桜散る   無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古   菩提亭写多・撮影

平成25年4月11日
至道無難 山波平九朗

心魂

居合というのは、武家社会、晩年の武士たちの健康法ではなかったのか?身体の衰えは下半身から来るもの。精神的なものも大きい。そこで静かに真剣を振る。心が落ち着く。特に正座からの型の動きは股関節に刺激を与える。心身が鍛えられていく。いざという時あわてない。心魂が座ってくる。

繰り返す 居合の型や 春の月       無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古      菩提亭写多・撮影

平成25年4月9日
至道無難 山波平九朗



直木三十五

芥川賞と直木賞。芥川龍之介と直木三十五。文学史上では直木三十五は大衆文学作家。娯楽文学と評価していた。ところがこの直木三十五という人物の凄さを最近知った。変わり者と思っていた。彼の「日本剣豪列伝」を読んで見方を変えた。頭の鋭さは芥川を凌ぐ。武術への造詣並ではない。文の人なのにである。

文と武 負けること知れ 春嵐     無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古    菩提亭写多・撮影

平成25年4月3日
至道無難 山波平九朗

独行道

武蔵は武術を道とみている。兵法は思想だという。文字にして絵にして彫刻にもした。五輪の書を書き上げる前に、自分の一生を自戒し「独行道」21か条をあらわした。その武蔵は吉川英治によって日本中を熱狂させる実在の剣豪だったと世に出された。そのきっかけは直木賞の直木三十五である。武蔵論争でかれは武蔵を評価しなかった。それで吉川は宮本武蔵を書いた。

世々の道 そむくことなし 春時雨     無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古      菩提亭写多・撮影

平成25年3月31日
至道無難 山波平九朗

安部一族

森鴎外の「安部一族」を読み返した。こういう古典はやはり年を経てから読むもの。細川熊本藩主の忠利の死後の殉死をめぐる逸話。実際にあった歴史上の事件だ。その騒動に細川藩食客の宮本武蔵が安部一族を討つ藩側のさむらいに声をかけるところで出てくる。時代はそのころ、宮本武蔵は熊本にいた。


及ばざるは 過ぎたるに勝る 春の雲    無得流俳句 無得庵是空
写真 本多青仁斎靖邦のひとり稽古      菩提亭写多・撮影

平成25年3月29日
至道無難 山波平九朗

無私

日本人には「私」はなかった。ものもあまり言わなかった。自分よりも人のためつくすことが自然だった。武道の稽古が日常行なわれ、それが養われていた。今はその逆。そういった私の無い日本の心を取り戻さなければならない。

甦るは 武の心なり 桜咲く      無得流俳句 無得庵是空
写真  日曜特別稽古           菩提亭写多・撮影

平成25年3月23日
至道無難 山波平九朗
<<prev 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 next>>